遺産分割前に他の相続人に対して相続分相当額の現金の支払を請求できるか──遺産分割前の支払請求を否定した事例|最判平成4年4月10日

判例のポイント

被相続人が死亡時に所有していた現金は、相続開始により相続人らの共有となり、遺産分割を経て初めて各相続人に具体的に帰属します。したがって、相続人は、遺産の分割までの間は、相続開始時に存した金銭を相続財産として保管している他の相続人に対して、自己の相続分に相当する金銭の支払を求めることはできません。本判例は、この立場を最高裁として初めて明示し、現金を金銭債権と同様に当然分割されるとする取扱いを否定した重要判例です。

目次

判例情報

  • 裁判所:最高裁判所第二小法廷
  • 判決日:平成4年4月10日
  • 事件番号:平成元年(オ)第433号、平成元年(オ)第602号
  • 関連条文:民法898条、899条、907条

事案の概要

本件は、被相続人が死亡時に所有していた多額の現金を、相続人の一人が保管しているという事案です。他の相続人らが、遺産分割を経ないまま、自己の法定相続分に相当する金員の支払を保管者に対して直接求めました。

登場人物

  • A(被相続人):死亡時に約7533万円の現金を所有していた者。昭和57年5月21日死亡。
  • Y(被告・控訴人・被上告人):Aの相続人の一人。Aの死亡後、相続財産としてAの現金を保管していた。
  • X1〜X4(原告・被控訴人・上告人):Aの他の相続人ら4名。Yに対して法定相続分に相当する金員の支払を請求した。

時系列

  • 昭和57年5月:A死亡(死亡時に7533万7838円の現金を所有)
  • 昭和58年2月:YがA保管の現金のうち6191万9155円を「A遺産管理人Y」名義で第一勧業銀行に通知預金として預入れ
  • 昭和61年:X1〜X4がYに対して保管金返還請求訴訟を提起
  • 昭和62年5月27日:第一審(東京地裁)が請求認容
  • 昭和63年12月21日:控訴審(東京高裁)が原判決を取り消し、請求棄却
  • 平成4年4月10日:最高裁が上告棄却(控訴審判決を維持)

経緯

Aは昭和57年5月に死亡しましたが、死亡時に7533万7838円もの現金を所有していました。Aの相続人はY・X1〜X4らであり、いずれも遺産分割協議は未成立の状態でした。

YはAの死亡後、相続財産として現金を保管していたところ、その一部である6191万9155円について、相続開始の約9か月後の昭和58年2月、「A遺産管理人Y」名義で第一勧業銀行北沢支店に通知預金として預け入れました。

これに対しX1〜X4は、本件現金(あるいはYが預け入れた本件通知預金)について、各自の法定相続分に相当する金員の支払をYに対して直接求める訴えを提起しました。第一審は、「遺産としての金銭債権は相続により当然分割される」という前提に立ち、X1〜X4の請求を認容しました。

しかし控訴審は、現金は被相続人の死亡により他の動産・不動産とともに相続人らの共有財産となり、相続人らは遺産の上に法定相続分に応じた持分権を取得するにすぎず、債権のように相続分に応じて分割された額を当然に承継するものではない、と判断して原判決を取り消し、請求を棄却しました。なお控訴審は、相続開始後に現金が金融機関に預けられて債権化されたとしても、相続開始時にさかのぼって金銭債権となるものではない、とも明示しています。

X1〜X4が上告したのが本件です。

争点

遺産分割前に、相続財産たる現金を保管する相続人に対して、他の相続人は自己の相続分に相当する金銭の支払を求めることができるか

──相続開始時に被相続人が所有していた現金は、遺産分割を経ずとも各相続人に法定相続分に応じて当然に分割帰属するか、それとも相続人らの共有財産として遺産分割の対象となるにとどまるか。

X側(X1〜X4)の主張:金銭は他の動産と異なり、それ自体を利用するものではなく、預金債権と同視してもおかしくない特殊な動産である。可分な債権が相続により当然分割されるとする判例の立場(最判昭和29年4月8日)に従えば、現金についても相続と同時に各相続人に分割帰属すると解すべきである。実務上も遺産分割の調停では、金銭は法定相続分に応じて分割される取扱いが一般的であり、市民の意思にも沿う。

Y側の主張:現金は被相続人の死亡により他の動産・不動産とともに相続人らの共有財産となり、相続人らは遺産の上に法定相続分に応じた持分権を取得するだけである。債権のように相続分に応じて分割された額を当然に承継するものではない。したがって、遺産分割が成立していない以上、X側の請求は失当である。

裁判所の判断

判旨の要約

  • 結論:相続人は、遺産の分割までの間は、相続開始時に存した金銭を相続財産として保管している他の相続人に対して、自己の相続分に相当する金銭の支払を求めることはできない。
  • 理由:相続開始時に存した金銭は、相続財産として共同相続人の共有に属し、その帰属は遺産分割を経て確定するものであるから。

判決文の引用

最高裁は、簡潔ながら明確に次のように判示しました。

相続人は、遺産の分割までの間は、相続開始時に存した金銭を相続財産として保管している他の相続人に対して、自己の相続分に相当する金銭の支払を求めることはできないと解するのが相当である。

そのうえで、本件の事実関係への当てはめとして、次のように述べています。

上告人らは、上告人ら及び被上告人がいずれも亡伊藤泰次の相続人であるとして、その遺産分割前に、相続開始時にあった相続財産たる金銭を相続財産として保管中の被上告人に対し、右金銭のうち自己の相続分に相当する金銭の支払を求めているところ、上告人らの本訴請求を失当であるとした原審の判断は正当であって、その過程に所論の違法はない。

判例の考え方

本判決の論理は、次の2段階で整理できます。

第1に、現金は預金債権・金銭債権とは別に扱われるという立場。可分な金銭債権であれば、相続により当然に分割され、各相続人がその相続分に応じて承継するというのが従来からの判例の立場です(最判昭和29年4月8日民集8巻4号819頁等)。しかし、被相続人の死亡時に現金として存在していたものは、債権ではなく動産であり、他の動産・不動産と同様、相続人らの共有財産となります。現金を金銭債権と同視して当然分割の対象とすることは認めない、というのが本判決の基本的立場です。

第2に、遺産分割の機能を尊重するという立場。相続財産たる現金が共同相続人の共有に属するとすれば、その具体的帰属は遺産分割を経て確定されることになります。仮に現金についてのみ当然分割を認めると、現金が遺産分割の対象から外れることになり、調整機能を持つ遺産分割実務に好ましくない結果をもたらします。本判決は、現金を遺産分割の対象としてとどめることで、共同相続人間の調整余地を残すという立場を採ったといえます。

結論に至る処理

最高裁は、X1〜X4の請求を失当として棄却した控訴審判決を正当とし、上告を棄却しました。なお、現金の一部がYによって相続開始後に通知預金として預け入れられている点について、控訴審は「相続開始後現金が金融機関に預けられ債権化されても、相続開始時にさかのぼって金銭債権となるものではない」と判示していますが、最高裁もこの判断を是認しています。

判例の射程

本判例の射程について、判決文の表現に即して整理します。

「相続開始時に存した金銭」という限定

最高裁は、「相続開始時に存した金銭を相続財産として保管している他の相続人」に対する請求の可否について判断しています。この「相続開始時に存した金銭」という表現は、被相続人の死亡時点で現金として存在していたものを指します。

したがって本判決は、被相続人の死亡時に既に金銭債権(預金債権等)であったものについては直接の射程外です。預金債権その他の金銭債権について遺産分割前にどう扱うかは、別途判例法理(なお、預貯金債権については後の最大決平成28年12月19日が遺産分割対象とする立場に変更しています)に従って処理されることになります。

「相続財産として保管している他の相続人に対して」という限定

請求の相手方として最高裁が想定しているのは、現金を相続財産として保管している他の相続人です。第三者が現金を保管している場合や、保管者が現金を私的に費消・流用している場合については、本判例は直接判断していません。

たとえば、保管者である相続人が相続財産たる現金を勝手に費消した場合の処理(不当利得返還請求や不法行為に基づく損害賠償請求の可否)は、本判例の射程外であり、別途検討が必要です。

「遺産の分割までの間は」という時間的限定

最高裁は、「遺産の分割までの間は」と明示することで、本判例が遺産分割未了の段階での請求の可否について判断したものであることを示しています。遺産分割が成立した後は、その分割結果に従って金銭の帰属が確定し、本判例の射程は及びません。

したがって、現金を法定相続分に応じて取得したいのであれば、遺産分割を経るほかない、というのが本判例の実務的帰結です。

相続開始後に保管者が預金化した場合

本件では、保管者であるYが相続開始後に現金の一部を「A遺産管理人Y」名義で通知預金として預け入れていました。控訴審は、「相続開始後現金が金融機関に預けられ債権化されても、相続開始時にさかのぼって金銭債権となるものではない」と明示し、最高裁もこの判断を是認しています。

したがって、保管者が相続開始後に現金を預金にした場合でも、相続開始時の現金としての性質は変わらず、当然分割の対象とはならないというのが本判例の到達点です。

実務での使い方

本判例は、被相続人の死亡時に現金が存在し、それを一人の相続人が保管している場面で、他の相続人が遺産分割を経ずに自己の法定相続分相当額を請求できるかが争点となるケースで、中心的に引用される判例です。相続案件における典型的な使いどころを整理します。

使える場面

典型的な場面は、次の2つです。

第1に、被相続人が死亡時にタンス預金や金庫保管現金など多額の現金を残しており、同居していた相続人(配偶者や同居の子など)が事実上これを保管している場面。他の相続人が、遺産分割を経ずに法定相続分相当額の支払を求めて訴訟提起した場合、本判例によりその請求は失当とされます。

第2に、被相続人の死亡直前または直後に、保管者である相続人が現金を預金化したり、自己名義の口座に移したりした場面。本判例の射程は、相続開始後に現金が預金化されてもなお現金としての性質を維持するという立場を含んでおり、保管者側の防御の根拠として機能します。

支払を請求する側(他の相続人側)

本判例の存在を前提とすれば、保管者に対して直接、法定相続分相当額の支払を求める訴訟は失当として棄却されることが想定されます。したがって、支払を請求したい側としては、次のような対応が考えられます。

第1に、遺産分割協議・調停・審判を通じて現金を分配する方向で進めること。本判例の射程は「遺産の分割までの間」に限定されているため、遺産分割を経ることが直接的な解決ルートになります。

第2に、保管者が現金を勝手に費消・流用しているおそれがある場合には、別途の法律構成を検討すること。具体的には、遺産分割における具体的相続分の調整(費消相当額を保管者の取得分から差し引く処理)、不当利得返還請求、不法行為に基づく損害賠償請求などです。本判例の射程外の問題として、別途構成する必要があります。

第3に、保管者の保管行為そのものに問題がある場合(例えば保管者の管理が杜撰で散逸のおそれがある場合)には、遺産管理人の選任申立て(民法918条、家事事件手続法190条等)を検討します。保管者に対する直接の支払請求とは別の手段として、遺産の保全を図ることが可能です。

支払請求に対抗する側(保管者側)

逆に、保管者として法定相続分相当額の支払請求に対抗する立場では、本判例の判旨を端的に引用することで、請求棄却を導くことができます。立論のポイントは次のとおりです。

第1に、被相続人の死亡時に現金として存在していたという事実を明確にすること。死亡時の保管状況、現金の出所(被相続人の生前の意思によるタンス預金等であること)を整理し、相続開始時の現金としての性質を確定させます。

第2に、遺産分割が未了であるという事実を確認すること。これにより、本判例の「遺産の分割までの間は」という射程に本件が含まれることを示します。

第3に、保管者として相続財産の管理を継続している事実を主張すること。保管者が現金を私的に費消・流用していると評価されると、不当利得返還請求等の別ルートでの責任追及がなされる可能性があるため、保管者としての適切な管理(分別管理、収支記録の作成等)を示す事実を整えておくことが重要です。

立証上のポイント

本件で論点となったのは、被相続人の死亡時点における現金の存在と数額でした。保管者であるYは、Aが6000万円を超える現金を残して死亡したことを認めており、現金の存在自体は争いがありませんでした。

実務上、死亡時点の現金額を客観的に確定するのは容易ではありません。タンス預金等の現金保管は通帳のような記録に残らないため、相続人間で「いくら存在したのか」自体が争いになることが多くあります。立証手段としては、被相続人の生前の預金引出履歴、貸金庫の利用記録、生前の生活実態(現金主義の傾向)、税務申告における財産状況、関係者の証言など、複数の間接事実を積み重ねることになります。

また、保管者が相続開始後に現金を預金化した場合、その預金化のタイミング・名義・金額の対応関係を押さえることが、現金としての性質を維持して論じる際の前提となります。本件では、Yが「A遺産管理人Y」名義で通知預金として預入れていた事実が、遺産としての性質を維持する判断を支える事情の一つとなっています。

併せて検討すべき周辺論点

本判例は現金についての判例ですが、預貯金債権の取扱いとは別の問題として整理する必要があります。預貯金債権については、最大決平成28年12月19日(民集70巻8号2121頁)が、遺産分割の対象となるとの立場を採用しました。これにより、預貯金債権についても遺産分割を経て初めて具体的な帰属が確定する形となり、現金の取扱いと結論的には平仄が合うようになっています。

さらに、遺産分割前の預貯金債権の払戻し制度(民法909条の2、令和元年7月1日施行)が新設されたことにより、相続人は一定額(預貯金債権額の3分の1に法定相続分を乗じた額、ただし金融機関ごとに法務省令で定める額が上限)について、遺産分割を待たずに払戻しを受けられるようになりました。ただし、この制度は預貯金債権について設けられたものであり、現金そのものには適用されません。現金については、本判例の射程が依然として有効であり、遺産分割を経るほかないという結論は変わりません。

なお、保管者である相続人が現金を勝手に費消した場合の処理については、本判例の射程外です。費消相当額については、共同相続人間の不当利得・不法行為の問題として別途処理されることになり、また、令和元年改正で新設された民法906条の2(遺産分割前に処分された財産を遺産分割の対象に含める扱い)の適用も検討対象となります。本判例は、あくまで保管者が現金を相続財産として保管している正常な場面を念頭に置いた判断であることに留意が必要です。

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