遺産分割調停において、相手方(共同相続人の一人)が税務署長に提出した相続税申告書およびその添付書類について文書提出命令が申し立てられた事案で、本決定は、これらの文書が民訴法220条4号ロにいう「公務員の職務上の秘密に関する文書でその提出により……公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれがあるもの」に該当するとして、提出を拒めると判断しました。申告納税制度が納税者と税務当局との信頼関係を前提とすることを重視し、手続が非公開の家事調停であっても、申告者の意に反して相続税申告書を提出させれば税務行政の適正な遂行に著しい支障が生じる、という理由づけです。もっとも本決定は高等裁判所の決定であり、第一審(鹿児島家庭裁判所)は同じ文書について提出を命じていたことからも分かるとおり、相続税申告書の文書提出義務をめぐっては下級審の判断が分かれている点に留意が必要です。
判例情報
- 裁判所:福岡高等裁判所宮崎支部
- 決定日:平成28年5月26日
- 事件番号:平成27年(ラ)第101号
- 関連条文:民事訴訟法220条4号ロ、国税通則法126条、家事事件手続法33条
事案の概要
本件は、遺産分割調停の申立人が、相手方(自分の弟)が税務署長に提出した相続税申告書およびその添付書類について、文書提出命令を申し立てたという事案です。
登場人物
- A(基本事件申立人):被相続人Bの子。弟Cを相手方として遺産分割調停を申し立て、本件文書提出命令を申し立てた。抗告審では相手方の立場。
- B(被相続人):AとCの母。大正4年生まれ、平成25年に死亡。最後の住所地はF市内。
- C(基本事件相手方):被相続人Bの子。Aの弟。被相続人の相続につき、D税務署長に相続税申告書を提出した。
- 国(抗告人):本件文書(相続税申告書等)の所持者。原決定を不服として即時抗告を申し立てた。
- D税務署:Cが相続税申告書を提出した先。
- E国税局長:D税務署の監督官庁。
なお、本件では「相手方」という言葉が二重に使われます。遺産分割調停(基本事件)ではAが申立人・Cが相手方ですが、抗告事件では国が抗告人・Aが相手方となります。以下では混乱を避けるため、原則としてA・C・国の記号で記載します。
時系列
- 大正4年:被相続人Bが出生
- 昭和61年:Bの夫が死亡し、相続人らが遺産分割協議
- 平成25年:Bが死亡(最後の住所地はF市内)
- 平成26年:Cの依頼を受けた税理士が、相続人代表者の選任のためAに委任状への署名を求める書面を送付(遺産目録・申告書案の送付はなし)。AがC・税理士に遺産目録等の送付を求めたが応じられず、AとCはそれぞれ個別に相続税申告書を提出
- 平成26〜27年頃:Aが鹿児島家庭裁判所に遺産分割調停を申立(遺産目録には土地2筆・建物4棟のみを記載し、ほかにも遺産はあるが把握していないと主張)
- 平成27年:基本事件の各期日で、AがCに相続税申告書の控えや遺産目録の開示を求めたが、Cは応じず。Aは文書送付嘱託を申し立てたが、D税務署長は守秘義務(国家公務員法100条・国税通則法126条)を理由に回答を拒否。その後、Aが本件文書提出命令を申立
- 平成27年11月19日:第一審(鹿児島家庭裁判所)が、税務署の事務処理記入部分を除き、相続税申告書等の提出を命じる決定
- 平成28年5月26日:抗告審(福岡高等裁判所宮崎支部)が、原決定のうち提出を命じた部分を取り消し、文書提出命令の申立てを却下
経緯
被相続人Bは平成25年に死亡し、その子であるAとCが相続人となりました。相続税の申告は本来、相続人全員が連帯して一通の申告書で行うのが基本ですが(相続税法27条5項)、本件ではCの依頼を受けた税理士がAに代表者の選任を求めたものの、その際に遺産の目録や申告書案がAに示されることはありませんでした。AはC側に遺産目録等の開示を求めましたが応じられず、結局、AとCはそれぞれ個別に相続税申告書を提出することになりました。
その後、Aは遺産分割調停を申し立てましたが、Aは被相続人の遺産の全容を把握しておらず、遺産目録には一部の不動産しか記載できませんでした。Aは調停の各期日でCに対し、相続税の申告書控えや遺産目録の開示を繰り返し求めましたが、Cはこれに応じませんでした。
そこでAは、Cが税務署に提出した相続税申告書等を入手するため、まずD税務署に対する文書送付嘱託(裁判所から文書の所持者に対し、文書の送付を求める手続)を申し立てましたが、D税務署長は守秘義務を理由に回答を拒否しました。続いてAは、本件文書(相続税申告書およびその添付書類のうち、税務署が事務処理のために記入した部分を除いた部分)について文書提出命令を申し立てました。
第一審の鹿児島家庭裁判所は、相続税申告書等が「公務員の職務上の秘密に関する文書」に当たること自体は認めつつ、本件の事実関係の下では、これを提出させても税務行政に著しい支障が生じる具体的なおそれは認められないとして、税務署が記入した部分を除いて提出を命じました。これに対して、文書の所持者である国が即時抗告を申し立てたのが本件です。
争点
相手方が税務署に提出した相続税申告書を、文書提出命令で開示させることはできるか
本件の争点は、相続税申告書およびその添付書類が、民訴法220条4号ロにいう「公務員の職務上の秘密に関する文書でその提出により公共の利益を害し、又は公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれがあるもの」に当たるか、という点です。
民事訴訟法220条4号は、文書の所持者は原則として文書を提出する義務を負うとしたうえで(柱書)、イからホまでに該当する文書を例外的に提出義務から除外しています。本件で問題となる4号ロは、「公務員の職務上の秘密に関する文書」のうち「その提出により公共の利益を害し、又は公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれがあるもの」を除外文書とするものです。相続税申告書がこの除外文書に当たれば、所持者は提出を拒むことができ、当たらなければ提出義務を負う、という関係になります。
A側(開示を求める側)の主張:本件文書は4号イからホまでのいずれにも該当しないから、所持者は提出義務を負う。Aは既に遺産の共有持分を取得した権利者であり、非公開の家事調停手続のなかで相続人の一人であるAに開示する限り、申告内容は秘密として保護するに値せず、4号ロにいう秘密には当たらない。また、4号ロ後段の「著しい支障の具体的なおそれ」は、文書の性格からくる抽象的なおそれでは足りず、記載内容からみた具体的なおそれが認められることが必要だが、国側の主張は抽象的なおそれを論じるにとどまる。相続税法55条をみても、共同相続人間で申告内容は共有されることが予定されている。
国側(開示を拒む側)の主張:本件文書は4号ロに該当する。相続税申告書等には相続人・被相続人の秘密が記載されており、これが公にされれば申告者との信頼関係が損なわれ、税務行政の遂行に著しい支障が生じる。信頼関係は一旦損なわれれば、これを回復することは極めて困難である。
裁判所の判断
前提──本件文書の所持者は誰か
本決定はまず、本件文書の所持者を誰とみるかを整理しました。行政庁が現実に保管している文書であっても、特別の規定がない限り行政庁には法主体性が認められないのが原則であり、民訴法220条4号ニの括弧書が「国又は地方公共団体が所持する文書にあっては」と定めていることからも、所持者は国または地方公共団体と解するのが相当だとしました。
本件では、申立人Aは当初「D税務署」を所持者として申立てをしていましたが、抗告審では所持者の表示を国に訂正する意向を示しており、原審でも実質的に国を当事者として手続が進められ、監督官庁やD税務署長に反論の機会が与えられていました。そのため、実質的に国に手続保障が与えられていたといえ、原審の手続に違法はないとされています。
判旨の要約
- 結論:遺産分割調停事件において共同相続人の一人が税務署長に提出した相続税申告書およびその添付書類は、その記載内容からみて、その提出により公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれが具体的に認められ、民訴法220条4号ロに該当する。
- 理由:申告納税制度は納税者と税務当局との信頼関係の確保を前提としており、申告者の意に反して申告書を提出させることが認められれば、申告納税方式による国税の適正な徴収の円滑な遂行に著しい支障が生じるから。
判決文の引用
まず、本件文書が「公務員の職務上の秘密に関する文書」に当たるか(前段)について、次のように判示しました。
公務員が職務を遂行する上で知ることができた私人の秘密が記載されたものであって、これが公にされることにより、申告者との信頼関係が損なわれ、申告納税方式による税の徴収という公務の公正かつ円滑な運営に支障を来すこととなる……から、本件文書は、民事訴訟法二二〇条四号ロにいう「公務員の職務上の秘密に関する文書」に該当する。
そのうえで、「その提出により公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれ」があるか(後段)について、次のように結論づけています。
本件のような遺産分割調停事件における相続税申告書及びその添付書類の提出が、被相続人の遺産の全貌を明らかにし、調停手続を円滑かつ迅速に進める上でその必要性が認められ……ることなどを考慮しても、本件文書のような相続税申告書及びその添付書類は、その記載内容からみて、その提出により公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれの存在することが具体的に認められ、民事訴訟法二二〇条四号ロに該当するというべきである。
判例の考え方
本決定の判断は、4号ロの二つの要件、すなわち前段(公務員の職務上の秘密に関する文書か)と後段(その提出により公共の利益を害し、又は公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれがあるか)に沿って組み立てられています。
第1に、前段(秘密性)です。相続税申告書等には、被相続人の遺産や申告者が相続・遺贈で取得した財産の具体的内容と評価額、申告者の親族関係といった秘密が記載されています。これは税務職員が職務を遂行するうえで知ることができた私人の秘密であり、公にされれば申告者との信頼関係が損なわれ、申告納税方式による税の徴収という公務に支障が生じる。したがって前段に該当する、というのが本決定の判断です。
第2に、後段(著しい支障の具体的なおそれ)です。ここが本決定の核心であり、第一審と判断が分かれた部分でもあります。本決定は、申告納税制度が納税者の自主的かつ誠実な申告を前提として組み立てられた制度であり、その担保には納税者と税務当局との信頼関係の確保が不可欠であると捉えました。税務職員に国税通則法126条等で重い守秘義務が課されているのも、この信頼関係を守るためです。そして、申告納税方式は相続税だけでなく所得税・法人税・消費税といった主要な国税で採用され、国の税収の主要部分を構成しています。こうした制度を前提とすると、たとえ非公開の家事調停手続であっても、申告者の意に反して相続税申告書を提出させることが認められれば、税務行政に対する納税者の信頼が損なわれ、申告納税方式による国税の適正な徴収の円滑な遂行に著しい支障が生じることは明らかである。そして、この支障は、税務職員の調査権の行使や加算税・罰則の規定によっては担保しきれない。だからこそ、遺産分割調停を円滑に進める必要性などを考慮してもなお、後段に該当する、と結論づけたのです。
ここで押さえておきたいのが、第一審(鹿児島家庭裁判所)との判断の分かれ目です。第一審も、前段(秘密性)への該当は認めていました。しかし後段については、本件の具体的な事情──もともとCが共同申告を提案していたこと、家事調停手続が非公開で記録の閲覧にも裁判所の許可が必要であること等──を踏まえ、申告内容がたやすく公開されることはないとして、著しい支障の具体的なおそれまでは認められないと判断していました。これに対し抗告審は、申告納税制度における信頼関係という制度全体の観点を前面に出し、非公開手続であっても申告者の意に反する提出は信頼関係を損なうとして、後段該当を認めたわけです。同じ文書をめぐって、後段の評価が正反対に分かれたことになります。
結論に至る処理
抗告審は、相続税申告書等が4号ロに該当する以上、所持者である国は提出義務を負わないとして、原決定のうち提出を命じた部分(主文第1項)を取り消し、その部分について文書提出命令の申立てを却下しました。抗告費用は相手方(申立人A)の負担とされ、本決定は確定しています。
判例の射程
本判例の射程について、判決文の表現に即して整理します。
対象は相続税申告書およびその添付書類
本決定が4号ロ該当を認めたのは、「相続税申告書及びその添付書類」です。これらに記載された被相続人の遺産・申告者の取得財産の内容や評価額、申告者の親族関係等が、税務職員が職務上知ることができた私人の秘密に当たるとされました。
文書の所持者が国であることが前提となっていること
本決定が4号ロを適用したのは、相続税申告書を所持しているのが国(税務署)だからです。本決定は、行政庁が現実に保管する文書の所持者は国または地方公共団体であると整理したうえで、国が所持する相続税申告書が「公務員の職務上の秘密に関する文書」に当たるという筋道で、4号ロ該当を導いています。裏を返せば、この論理は、申告者本人が手元に保管している相続税申告書の控えにはそのまま及びません。私人が所持する控えは「公務員の職務上の秘密に関する文書」ではないため、4号ロの問題とはならず、提出義務の有無は別の枠組みで判断されることになります。
基本事件は遺産分割調停事件であること
本決定は、相続税申告書等の提出が求められた基本事件が「遺産分割調停事件」であることを前提に判断しています。注目すべきは、家事調停手続が非公開であること(家事事件手続法33条)を考慮しても、なお後段該当が認められるとした点です。つまり、手続が非公開であることは、著しい支障を否定する決定的な事情とはされませんでした。
実務での使い方
本判例は、遺産分割をめぐって、ある相続人が他の相続人の保有する相続税申告書を入手しようとする場面で問題になります。
使える場面
典型的なのは、遺産の全容を把握していない相続人が、遺産を把握している相続人(あるいはその選任した税理士)から遺産目録や相続税申告書の開示を拒まれ、遺産の範囲が分からないまま遺産分割を進めざるを得ない、という場面です。本件のAのように、相手方が税務署に提出した相続税申告書を文書提出命令で入手しようと考えるのは自然な発想ですが、本決定は、その入手が容易でないことを示しています。
相続税申告書の開示を求める側(遺産を把握できていない相続人の立場)
本決定がある以上、相続税申告書そのものを文書提出命令で取得するのは難しいことを前提に、立論や手段を組み立てる必要があります。
ただし、本決定は高裁レベルの判断であり、第一審は逆の結論を出していました。後段(著しい支障の具体的なおそれ)の評価には事案ごとの個別判断の余地があるため、本件と異なる事情がある場合には、なお提出を求める余地が残ると考えられます。
なお、相続税法49条には、贈与税の申告内容の開示請求という制度があります。これは、相続または遺贈により財産を取得した者が、自己の相続税の申告や更正の請求に必要な範囲で、他の共同相続人等が被相続人から受けた生前贈与(相続開始前の一定期間内の暦年課税の贈与で相続財産に加算されるものや、相続時精算課税の適用を受けた贈与)に係る贈与税の課税価格の合計額について、税務署長に開示を請求できる制度です。ただし、これで分かるのはあくまで過去の生前贈与の状況であり、相続税申告書に記載された被相続人の遺産そのものの全容が分かるわけではありません。本件のように遺産の範囲自体を把握したい場面とは目的が異なる点に注意が必要ですが、生前贈与や特別受益の有無を調べたい場面では有用な制度です。
国が所持する相続税申告書の開示を拒む側(国側)
国(税務署)が所持する相続税申告書について文書提出命令が申し立てられた場面では、本決定を援用して、相続税申告書等が4号ロ該当文書であり提出義務を負わないことを主張できます。本決定は行政庁が保管する文書の所持者を国と整理しているため、この場面での文書提出命令の相手方は国となります。
ここで注意が必要なのは、本決定の4号ロの論理が、所持者が国(税務署)であることを前提としている点です。申告者本人が手元に保管している相続税申告書の控えは、所持者が私人であって「公務員の職務上の秘密に関する文書」には当たらないため、本決定をそのまま援用することはできません。本人が控えの提出を拒む場面では、4号ロとは別の枠組みでの検討が必要になります。実際、本件でも申立人Aは、相手方Cが控えの開示を拒んだことを受けて、C本人ではなく国(税務署)に対して文書提出命令を申し立てています。
立証上のポイント
本件で結論を分けたのは、後段の「公務の遂行に著しい支障を生ずる具体的なおそれ」の評価でした。4号ロ後段は、文書の性格からくる抽象的なおそれでは足りず、文書の記載内容からみて具体的なおそれが認められることを要します。第一審は本件の個別事情(共同申告の提案経緯、家事調停の非公開性等)を重視して具体的なおそれを否定し、抗告審は申告納税制度全体の信頼関係を重視して具体的なおそれを肯定しました。同種の場面では、この後段の評価が争点になることを意識して主張を組み立てる必要があります。
併せて検討すべき周辺論点
第1に、文書の所持者の特定です。相続税申告書の所持者を「税務署」ではなく「国」とすべき点は、本決定が明確にしています。当初の所持者の表示を誤っても、本件のように訂正・補正で対応できる場合がありますが、最初から国を所持者として申し立てるのが無難です。
第2に、相続税申告書以外の調査手段です。遺産分割で遺産の範囲や生前の財産の動きを明らかにするには、金融機関への取引履歴の照会、不動産の名寄帳の取得、生前贈与の有無についての相続税法49条の開示請求など、目的に応じて複数の方法を組み合わせることが実務上重要になります。
第3に、本決定の射程の限界です。前述のとおり、本決定は高裁の決定であり、第一審は逆の判断をしていました。相続税申告書の文書提出義務をめぐる議論は固まっておらず、最高裁の判断も示されていません。事案の個別事情によっては異なる結論があり得ることを踏まえ、複数の見通しを立てておくのが安全です。

