医療法人社団の定款に置かれた「退会した会員は払込済出資額に応じて払戻しを請求することができる」との定めについて、払い込んだ出資額をそのまま返せば足りるものではなく、法人資産に対する出資持分の払戻しを認める趣旨だと判断した高裁判例です。そのうえで、設立後に出資して入会した社員の持分割合は、入会時の法人の資産総額に自らの払込済出資額を加えた額に対する出資額の割合により算定し、払戻額は、その割合を退社時の資産の時価に乗じて求めるとしました。当事者の計算方法によって払戻額が約175万円から5億円超まで開いた事案で、裁判所が導いた結論は588万3696円です。この算定は上告審(最判平成10年11月24日)でも正当として是認されており、持分の定めのある医療法人の出資持分は相続財産としても金額が大きいだけに、相続の場面でも参照される基本判例です。
判例情報
- 裁判所:東京高等裁判所
- 判決日:平成7年6月14日
- 事件番号:平成6年(ネ)第1929号
- 関連条文:医療法44条・54条・56条(いずれも平成18年改正前)、民法1条
事案の概要
医療法人社団を退社した社員が、定款の定めに基づいて出資持分(出資した社員が法人の資産に対して持つ財産上の権利)の払戻しを求め、その金額の計算方法が争われた事案です。
なお、本件の医療法人の定款は、社員を「会員」、退社を「退会」と呼んでいます。この記事では、判決文の引用部分を除き、医療法の用語である「社員」「退社」で統一します。
登場人物
- X(原告・被控訴人):昭和45年に50万円を出資してYに入会した社員。Yの設立以来、Yの経営する病院の従業員として勤務し、理事も務めた。昭和63年に退社。
- Y(被告・控訴人):昭和34年に設立された、精神科等を専門とする病院を経営する医療法人社団。定款8条に「退会した会員は払込済出資額に応じて払戻しを請求することができる」との定めを、定款35条に「本会が解散した場合の残余財産は総会の採択を経て払込済出資額に応じて分配するものとする」との定めを置く。
- A(Yの設立時の理事長):設立の際、Aを含む6名が合計1592万1604円を出資した。昭和40年に死亡により退社。
時系列
- 昭和34年3月19日:Y設立。Aら6名が合計1592万1604円の金銭または現物を出資
- 昭和40年5月8日:Aが死亡により退社。Yは、Aの払込済出資額に相当する1185万8510円を遺族に払い戻した
- 昭和45年5月26日:Xが50万円を出資してYに入会。当時のYの資産総額は、Xの出資額を含めて4億3126万7005円
- 昭和63年3月31日:Xが裁判上の和解によりYの理事を辞任し、退社。退社時における社員全員の払込済出資額の合計は456万3094円
- 昭和63年5月24日:Xの支払催告の書面がYに到達
- 平成7年6月14日:東京高等裁判所が原判決を変更し、Yに588万3696円の支払を命じる
- 平成10年11月24日:最高裁判所第三小法廷が上告を棄却し、本判決が確定
経緯
Yは、昭和25年の厚生省通達に参考として添付された定款例に依拠して定款を作成した医療法人で、設立以来、社員や出資の異動は、Aの死亡退社とXの入退社のほかにありませんでした。Aの死亡退社の際にYが遺族に払い戻したのは、Aの払込済出資額に相当する金額だけです。
Xは、Yの設立当初から従業員として病院で働き、後に理事にも就いていましたが、Yとの間で紛争が生じ、仮処分事件の審尋期日における裁判上の和解で、理事を辞任して退社すること、退社に伴う出資持分の払戻しは別途協議することを合意して、昭和63年3月31日に退社しました。その後、Xは同年5月に書面で支払いを催告したうえ、定款8条に基づく払戻しを求めて提訴しています。
原審はYに払戻しを命じ、Yが敗訴部分の取消しを求めて控訴しました。控訴審でYは、払戻額の基礎となる資産は清算費用等を控除した残余財産の価額によるべきだという主張と、本訴請求は信義則違反・権利濫用だという主張を付け加えています。東京高等裁判所は原判決を変更し、払戻額を588万3696円としました。本判決に対しては退社した社員の側から上告がされましたが、最高裁判所第三小法廷は、設立後約11年を経て多額の資産が形成された後に入会したことを考慮して払戻額を算定した本判決の判断を正当として是認し、上告を棄却しています(最判平成10年11月24日)。
争点
「払込済出資額に応じて」の払戻しは、出資額の返還にとどまるのか
この争点の本質は、剰余金の配当(利益の分配)を禁止する医療法54条の下で、退社時の払戻しをどこまで認めてよいかという問いです。
Yの主張:医療法54条が剰余金の配当を禁止した趣旨は、退社に伴う払戻しにも貫かれるべきである。したがって、定款8条の払戻しは、払込済出資額そのもの、または残余財産の価額のうち出資金に相当する部分に限られる。清算費用や清算所得への課税額を控除した残余財産の価額を出資金と剰余金の額で按分すると、Xへの払戻しは175万5511円にとどまる。設立時の理事長Aの死亡退社の際に払込済出資額相当額のみを払い戻した過去の運用も、この解釈に沿う。
Xの主張:定款8条は、法人資産に対する出資持分の払戻しを認めるものであり、Yの限定的な解釈は争う。
設立後に入会した社員の持分割合は、どのように計算するのか
この争点の本質は、「払込済出資額に応じて」という割合を、退社時の払込済出資総額に対する割合と読むのか、それとも入会時に既に形成されていた法人資産を考慮に入れた割合と読むのかという問いです。
Xの主張:退社時の払込済出資総額456万3094円に対するXの出資額50万円の割合を、退社時の資産に乗じるべきである。この計算によると、払戻額は5億円を超える。
Yの主張:そもそも払戻しは出資額またはその相当部分に限られる(前記のとおり)。仮に持分の払戻しが認められるとしても、基礎となる資産の額を争う。
なお、後述するとおり、裁判所はこのどちらでもない第三の計算方法を、定款の合理的な解釈として示しました。
払戻額の基礎となる法人資産は、どのように評価するのか
この争点の本質は、資産を帳簿価額で見るのか時価で見るのか、時価だとして、清算を想定した価額か事業の継続を前提とした価額かという問いです。
Yの主張:純資産額から、従業員の退職金等の清算費用と、清算所得にかかる法人税・事業税・住民税の税額を控除した残余財産の価額(16億4909万6762円)によるべきである。
Xの主張:争う。退社時の資産の時価を基礎とすべきである。
出資額をはるかに超える払戻請求は、信義則違反・権利濫用に当たるのか
この争点の本質は、定款上の権利行使であっても、法人の経営に深刻な打撃を与える請求は制限されるのかという問いです。
Yの主張:Xの計算方法によれば、50万円の出資が約18年で1120倍強の5億数千万円になり、この間の社会経済の実態に照らしてどのような指標を用いても正当化できない。支払いのためには資産の売却や多額の借入れを迫られ、病院の閉鎖すら免れない。Xは設立以来の従業員として病院の内情を熟知したうえで、Yの損害を犠牲にあえて膨大な請求をしており、信義則に違反し、権利の濫用に当たる。
Xの主張:争う。
裁判所の判断
判旨の要約
結論:定款8条は出資持分に相当する資産の払戻しを認める趣旨であり、払戻額は、退社時の資産の時価(事業の継続を前提とした営業価額)に、入会時の資産総額に対する出資額の割合を乗じて算定した588万3696円である。
理由:医療法54条は営利企業化の防止を目的とする規定にすぎず、持分の払戻しを認めるかどうかは定款の自律的な定めに委ねられているところ、Yの定款は文理上持分の払戻しを認めており、退社に伴う払戻しは法人の一部清算(法人を解散しないまま、退社する社員との関係で清算をしたのと同じ扱いをすること)の実質を持つからです。
判決文の引用
定款8条の意味について、裁判所は次のように述べました。
控訴人の定款八条の定めは、会員資格を喪失した会員に対して出資持分の払戻しを認めるものであって、一部清算としての実質を持つものであるから、控訴人は、脱退会員に対して、その資産に対する出資持分に相当する資産の払戻しをすべきものであって、単に当該脱退会員が払い込んだ出資額そのものを返還すれば足りるというものではなく、医療法五四条の規定が剰余金の配当を禁止しているからといって、定款八条の定めを控訴人の主張するように限定的に解釈して、これを脱退会員の払込済出資額そのもの又は残余財産の価額中出資金に相当する部分の払戻しを意味するに過ぎないものと解することはできない。
設立後に入会した社員の持分割合については、次のとおりです。
設立後に出資をした会員の出資持分の割合は、当該出資時における控訴人の資産総額に当該会員の払込済出資額を加えた額に対する当該出資額の割合によるものと解するのが相当である
資産の評価方法については、まず帳簿価額によることを否定しました。
右の評価は、法人の期間損益を明らかにすることを目的とし取得価格を基礎とした帳簿価格ないし貸借対照表上の資産価額によるべきものではなく、当該会員の脱退時(出資持分請求権の発生時)における当該資産の持つ客観的な価額によって算定すべきものと解するのが相当である
そのうえで、時価の中身を次のように特定しています。
この場合の客観的な価額の算定は、いわゆる清算価額によるべきではなく、当該法人の事業の継続を前提として、当該資産を特定の事業のために一括して譲渡する場合の譲渡価額(営業価額)を標準とすべきものと解するのが相当である
信義則違反・権利濫用の抗弁に対する判断は、簡潔です。
控訴人が被控訴人に対して負う出資持分の払戻義務は、右の限度にとどまるものである以上、本訴請求が信義則に違背し又は権利の濫用に当たるとする控訴人の抗弁が失当であることは、いうまでもない
判例の考え方
本判決の判断は、三つの柱でできています。
第一に、医療法54条の射程の見極めです。同条が禁じるのは、収益や評価益を剰余金として社員に分配すること、すなわち医療法人の営利企業化です。他方で、出資した社員に法人資産に対する「分け前としての持分」を認めるか、退社時にその払戻しをするかは、医療法が定款の自律的な定めに委ねた事柄だと位置づけました。Yの定款は、8条の払戻条項と35条の残余財産分配条項をあわせ読めば、文理上、出資持分とその払戻しを認めています。Aの死亡退社の際に払込額相当だけを払い戻した過去の運用について、判決は、Yの定款が厚生省通達添付の定款例をそのまま採用したものである以上、一度の解釈事例で定款の規範的な意味内容は左右されないと退けました。
第二に、出資時期の違いによる不公平の調整です。「払込済出資額に応じて」を退社時の出資総額に対する割合と読むと、法人に利益が蓄積し資産の評価益が生じた後から入会した社員が、入会前に形成された資産まで取り込んでしまいます。判決は、設立後相当の期間が経過し多額の資産が形成された後に入会した社員が、程なく死亡等により退社する場合を挙げて、そのような結果は設立者の合理的意思に適わないとしました。そして、新しい社員が入会した当時に原始社員(設立時からの社員)が退社したとすれば当時の資産総額を基準に払戻しを受け得たはずだ、という考え方を挟んで、設立後に入会した社員の持分割合は「入会時の資産総額に自らの出資額を加えた額」に対する出資額の割合によるという計算式を導いています。入会時に法人の資産がマイナスの場合には、払込みどおりの出資額を基礎とすれば足りる、という留保付きです。
第三に、評価基準の選択です。退社に伴う払戻しは一部清算の実質を持つ以上、資産は帳簿価額ではなく退社時の客観的な価額で評価します。ただし、法人は退社後も事業を続けるのですから、解散を想定した清算価額ではなく、資産を特定の事業のために一括して譲渡する場合の譲渡価額(営業価額)が標準です。清算費用や清算所得への課税額を控除すべきだというYの主張は、「もとより正当ではない」と一言で退けられました。
この三つを組み合わせると、払戻額は「退社時の資産の時価評価額 × (出資額 ÷ 入会時の資産総額)」で計算されます。持分の払戻しを時価で認めつつ、持分割合の分母を入会時の資産総額とすることで、金額の暴走に歯止めをかけたところに、本判決の特徴があります。
結論に至る処理
裁判所は、Xが入会した昭和45年5月26日当時のYの資産総額について、資産の大きな部分を占め価格変動の著しい土地建物は当時の時価により、その余の資産・負債は直近の貸借対照表の数値を近似値として採用し、Xの出資額を含めて4億3126万7005円と認定しました。Xの持分割合は、4億3126万7005分の50万です。
退社時である昭和63年3月31日現在の資産の評価額は、土地建物の時価54億344万7000円にその余の資産5億5880万632円を加え、負債8億4935万9320円とXに対する退職慰労金債務3800万円を差し引いた50億7488万8312円と認定されました。これに持分割合を乗じた588万3696円が払戻額です。
遅延損害金については、退社を合意した裁判上の和解では持分の払戻しを別途協議するとされたにすぎないとして退社直後からの遅滞を否定し、催告書面が到達した昭和63年5月24日の翌日から、当時の法定利率である年5分(改正前民法404条)の割合で認めています。そのうえで、払戻義務がこの限度にとどまる以上、信義則違反・権利濫用の抗弁は失当だとして、原判決を変更しました。
判例の射程
本判例の射程について、判決文の表現に即して整理します。
第一に、本判決の定款解釈は、Yの定款8条と35条の「文理に照らす」として導かれたものです。Yの定款は厚生省通達に参考として添付された定款例に依拠しており、この系統の文言を持つ定款についての判断です。定款が払戻しを認めない定めや、これと異なる定めを置く場合について、本判決は何も述べていません。
第二に、持分割合の計算式は、「設立後に出資をした会員」について示されたものです。判決は、社員の全員が原始社員であれば、退社時の出資総額に対する割合で解釈しても「なんら差し支えない」と明言しており、本判決の計算式は、出資時期の異なる社員が混在する場合の不公平を調整するためのものです。
第三に、入会当時の法人の資産がマイナスである場合には、払込みどおりの出資額を基礎とすれば足りるとの留保が付されています。
第四に、営業価額を標準とする評価方法は、「控訴人の定款にはなんらの定めもない」ことを前提とした判断です。定款に評価方法の定めがある場合は、本判決の前提と異なります。
第五に、信義則違反・権利濫用の抗弁を退けた部分は、払戻義務が本判決の算定方法による金額の限度にとどまることを理由とした判断であり、この種の抗弁の当否を一般的に論じたものではありません。
実務での使い方
平成18年の医療法改正(平成19年4月施行)により、持分の定めのある医療法人は新たに設立できなくなりましたが、それ以前に設立された法人は経過措置により存続しており(いわゆる経過措置型医療法人)、持分あり医療法人は現在も数多く残っています。相続の場面で出資持分が問題になる医療法人は、基本的にこの類型です。
その後、最高裁判所は、同じ定款例の系統の定款を置く医療法人について、「退社した社員はその出資額に応じて返還を請求することができる」との定めは、退社時の法人財産の評価額に、退社時の総出資額中の当該社員の出資額が占める割合を乗じた額の返還を認める趣旨だと判断しました(最判平成22年4月8日)。払い込んだ出資額の限度に切り下げた原審を破棄したもので、退社時の財産を時価で評価して割合的に払い戻すという骨格は、最高裁でも明確にされています。もっとも、同判決は設立時に出資した社員だけの事案で、設立後に入会した社員の割合の計算方法には触れていません。中途入会社員の持分割合の計算式と、営業価額を標準とする評価方法を具体的に示した判例として、本判決は今も参照価値を保っています。
使える場面
典型的な場面は3つあります。
第1に、被相続人が持分あり医療法人の出資社員だった場合の遺産分割・遺留分侵害額請求です。出資持分ないし払戻請求権の評価額が遺産の大半を占めることも珍しくなく、評価方法の対立がそのまま相続の中心になります。
第2に、社員の死亡に伴う払戻請求です。持分あり医療法人の多くでは、定款上、社員の死亡が退社事由(資格喪失事由)とされており、その場合、相続人が承継するのは社員の地位ではなく、財産権としての払戻請求権と扱われるのが通例です。医療法人を承継する相続人側と、それ以外の相続人側との間で、払戻額をめぐる交渉・訴訟になります。
第3に、生前の退社に伴う払戻請求です。本件のように、親族経営の法人から社員が離脱する場面で、本判決の計算方法が正面から問題になります。
払戻しを請求する側(退社した社員・その相続人側)
請求側は、本判決のうち定款解釈と評価方法の部分を主張の柱にします。「払込済出資額に応じて」という定款の文言を出資額の返還と読ませようとする法人側の主張に対しては、退社に伴う払戻しが一部清算の実質を持つという本判決の判示に加え、出資額の限度への切下げを明確に否定した最判平成22年4月8日で反論できます。医療法54条の配当禁止を持ち出す反論に対しても、同条は持分の払戻しまで禁じるものではないというのが本判決と最高裁に共通する立場です。
評価の場面では、帳簿価額ではなく時価、清算価額ではなく事業継続を前提とした営業価額、という二段の判示が効きます。病院の不動産は帳簿上の価額と時価の開きが大きいことが多く、不動産の時価立証の巧拙が請求額を大きく左右します。
払い戻す法人側(法人を承継した相続人側)
法人側にとっての本判決の使いどころは、持分割合の計算式です。退社した社員が設立後の入会者であれば、持分割合の分母は退社時の出資総額ではなく、入会時の資産総額に出資額を加えた額になります。本件では、同じ約50億円の退社時資産を前提にしながら、退社時の出資総額を分母とする計算では5億円を超えたはずの払戻額が、588万円余にとどまりました。入会時点で法人に既に相応の資産が形成されていたことを立証できれば、払戻額はその分小さく収まります。
信義則違反・権利濫用の抗弁の位置づけには、注意が要ります。本判決は、適正な計算方法を採った帰結として払戻額が限定される以上、この種の抗弁は前提を欠くとしており、まずは持分割合と評価方法という計算の中身で争うのが本筋です。他方で、最判平成22年4月8日は、法人が過去に和議開始の申立てを経て再建された経緯とその過程で退社社員側が果たした役割、法人の公益性・公共性等に照らし、払戻請求が権利の濫用に当たり得るとして審理を差し戻しました。計算を尽くしてもなお法人の存続を脅かすような金額になる事案では、権利濫用の抗弁が現実的な争い方になります。
立証上のポイント
出発点は定款です。払戻条項(本件の8条に当たる定め)と残余財産の分配条項の文言、その定款が定款例に依拠したものか個別の経緯で作られたものかを確認します。過去の払戻運用(本件のAの例のような先例)は、本判決では定款の解釈を左右しないとされており、これだけに頼る立論は危ういと考えるべきです。
金額面では、入会時と退社時という2つの時点それぞれについて、貸借対照表等の会計資料と不動産の時価資料が必要になります。本件でも、両時点の土地建物の時価は鑑定によって認定されました。入会が数十年前という事案では当時の時価の立証がハードルになり、鑑定の設計が結論を分けます。あわせて、退職慰労金債務のような貸借対照表に現れにくい負債の有無も確認しておきたいところです。
請求する側は、履行遅滞の起算点にも注意が要ります。本判決は、退社の合意だけでは遅滞に陥らず、支払催告の書面が到達した日の翌日から遅延損害金を認めました。退社後は速やかに書面で催告することになります。なお、本判決当時の遅延損害金は年5分(改正前民法404条)ですが、現在の法定利率は年3%(変動制)です。
併せて検討すべき周辺論点
相続税の計算における出資持分の評価と、本判決が扱う民事上の払戻額の算定は、別の問題です。遺産分割協議で相続税申告上の評価額をそのまま前提にすると、本判決の計算方法による金額と大きく食い違うことがあり、どちらの数字を土台に協議するかの見極めが必要になります。
死亡退社型の請求では、時間の経過にも気を配る必要があります。最判平成22年4月8日の事件では、先に死亡した社員の分の払戻請求権は死亡から10年の経過で時効により消滅したものと扱われ、後に死亡した社員の分の算定でも、その時点で既に発生していた先順位の払戻請求権を負債として控除した財産評価額が基礎とされました。出資社員が相次いで亡くなった事案では、誰の死亡時点の、どの負債を控除した評価額かで金額が大きく動きます。相続人側としては、死亡退社から長期間放置すると請求権自体を失いかねず、早めの着手が肝心です(現行民法では、権利を行使できることを知った時から5年という時効期間にも注意が必要です)。
また、持分あり医療法人の相続リスクを将来に向けて断つ選択肢として、持分の定めのない医療法人への移行があります。移行計画の認定を受けた法人(認定医療法人)には税制上の優遇措置があり、認定申請の期限は令和11年12月31日までとされています。持分の放棄には課税の問題が伴うため税理士との連携が前提になりますが、出資持分が争いの火種になりそうな法人では、相続が起きる前に移行を検討することが予防策になります。

