父の遺産を母が全部相続すると、それは法律上、母自身の財産になります。「いずれ自分たちに戻ってくる」という保証はどこにもありません。母がそれを使ってしまうかもしれません。贈与や遺言で行き先が変わることも、再婚や認知症で事情が変わることもあります。二次相続では相続税も重くなりがちです。ただ、こうした事態は一次相続の分け方しだいで先に防げます。いったん決めた協議はやり直しがききませんので、一次相続では、二次相続も意識する必要があります。
父を亡くした三人きょうだいの長女からのご相談です。四十九日の席で、長男が「母さんの生活もあるし、父さんの遺産はひとまず全部母さん名義にしよう」と言い出し、残る二人もその場でうなずいたそうです。母を思えば、ごく自然な結論に見えます。相続税もかからないと聞いた。手続きも一度で済む。それでも、帰り道でふと引っかかった――母が亡くなったとき、この遺産はどうなるんだろう、と。
この一抹の不安は、おそらく当たっています。
「母に全部相続させれば円満」は、どこが思い込みか
「とりあえず母に全部」という結論が選ばれる理由は、だいたい三つです。母の生活への配慮、配偶者の税額軽減(相続税法19条の2)による相続税ゼロという話、そして協議を早く終わらせたいという事情。
どれも間違いではありません。配偶者が取得した遺産は、1億6,000万円か法定相続分相当額まで相続税がかかりません(相続税法19条の2)。一次相続だけを切り取れば、税負担がいちばん軽いのはこの分け方であることが多いはずです。
思い込みが問題になるのは、その先です。「母が相続した父の遺産は、母が亡くなればまた自分たちに戻ってくる」――この前提に、法的な裏づけはどこにもありません。
実際はどうなるか――母が相続した瞬間、それは「母の財産」になる
遺産分割協議で母が取得した財産は、その瞬間から母の固有財産です。もう父の遺産ではありません。母は自分の判断で使えますし、贈与もできますし、遺言で行き先を自由に決められます。
「将来は子どもたちで均等に」という口約束が協議の席であったとしても、後から母が有効な遺言を作れば、原則としてそちらが優先されます。一次相続での約束とは異なる遺言を作っていたとき、二次相続で待っているのは、遺留分をめぐる争いです。
実務でこの手の相談をお受けすると、きょうだいの対立の火種は一次相続の時点ですでに始まっていた、と感じることが少なくありません。「母のため」という総論では全員が一致しているのに、「母の次」の各論を誰も口にしないまま、遺産分割協議書に判を押してしまう。そのとき先送りにした『母の次』が、二次相続でそのまま争点になります。
一次相続で母に集中させると、二次相続で何が起きるか
一次相続で母に遺産を集中させたとき、二次相続で起こりうるのは、次のようなことです。
| 何が起きるか | なぜ止められないか | 一次相続における手当て |
|---|---|---|
| 母が特定の子や孫だけに生前贈与する | 母の固有財産の処分は自由 | 子も一次相続で取得しておく |
| 母の遺言で配分が変わる | 有効な遺言は口約束に優先する | 同上。加えて分け方を協議書に残す |
| 母が再婚し、再婚相手に相続権が生じる(民法890条) | 配偶者は常に相続人になる | 子の取得分は再婚の影響を受けない |
| 母が認知症になり、成年後見人が財産を管理する | 後見人は母本人の利益で判断する(施設費用のための自宅売却など) | 子が取得済みの財産は後見の対象外 |
| 二次相続で相続税が重くなる | 配偶者の税額軽減が使えず、法定相続人も減って基礎控除が縮む | 一次・二次トータルで試算して配分する |
表の右の列を見てください。手当ての答えは、どれも同じです。一次相続の段階で、子も自分の相続分を取っておくこと。リスクを一つずつ潰すのではなく、入口の分け方ひとつで、その大半をまとめて防げます。
とりわけ見落とされがちなのが、認知症のケースです。後見人は、「子の将来の相続への期待」ではなく、「母本人の利益」で財産を動かします。子が継ぐつもりだった実家が、母の施設費用のために売られる。制度が正しく働いた結果として、子の期待だけが裏切られる可能性もあります。
どう動くのが正解か――「母の生活」と「子の相続分」を両立させる順番
母への配慮と、子の権利の確保。これは二択ではありません。遺産分割協議で詰める順番は、次のとおりです。
ステップ1:母の生活に「本当に」必要なものを見積もる
母の生活保障の中身は、突き詰めれば、自宅に住み続けられることと当面の生活資金の二つです。遺産を全て相続しなければ守れない、という場面はそう多くありません。年金収入や母自身がもともと持っている財産も勘定に入れて、必要額を具体的な数字に落とし込みます。
ステップ2:財産の性質で振り分ける
母は自宅と当面の暮らしに要る預貯金を、子は賃貸不動産、有価証券、遠方の土地といった母の生活に直結しない財産を取得する。このような振り分けをするだけで、さきほどの表のリスクの多くは解消できます。
ステップ3:自宅で揉めそうなら、所有と居住を切り分ける
自宅が遺産の大半を占める家庭では、ステップ2の振り分け自体が成り立ちません。このような場合に使えるのが、配偶者居住権(民法1028条)です。所有権は子が取得し、母には無償で住み続ける権利を残す。所有権ごと母に渡す場合に比べて、母の取得額が小さく収まるので、その分、子に回せる遺産が増えます。
配偶者居住権を使わないなら、子が不動産を取得し、母に代償金を払う代償分割も検討します。逆に、母が取得し、子に代償金を払う形もあります。どれを選ぶかは、家庭の資金事情と二次相続の試算しだいです。
ステップ4:一次・二次を通した相続税を試算してから決める
配偶者の税額軽減は、一次相続では効きますが、二次相続では使えません。母に遺産を寄せれば寄せるほど、二次相続の課税財産が膨らみ、一次・二次を通してみると、かえって高くつくことがあります。分け方の候補が二つ三つに絞れたら、それぞれについて一次・二次を合わせた税額を税理士に試算してもらい、最終的に遺産分割協議をまとめるという順序で進めます。
ステップ5:決めた分け方を遺産分割協議書に正確に記載する
配偶者居住権の設定や代償金の支払条件については、遺産分割協議書の書き方を一つ間違えると、登記や支払いの場面で支障が生じます。分け方に工夫を入れるほど、遺産分割協議書に高い精度が求められます。
また、いったん成立した遺産分割協議は、相続人全員が合意しない限り、やり直せません。しかも、やり直して財産を動かすと、税務上は贈与とみなされるリスクがあります。

