医療法人の出資持分を相続したとき、あなたが手にしているのは、多くの場合、持分そのものではなく「払戻請求権」という金銭債権です。モデル定款では社員の死亡は退社事由とされ、退社によって払戻請求権が発生するためです。この場合、現金化の基本は、法人への払戻請求です。ただし、定款によっては相続人が持分そのものを引き継ぐこともあり、そのときは持分が遺産分割の対象になるので、代償金を受け取るか、持分を譲渡して現金化します。どちらを相続したのかを定款で見分けることが、すべての出発点です。
相談に来られたのは、医療法人の理事長だった父を亡くした50代の女性でした。病院は医師である兄が継ぎ、本人は結婚を機に実家を離れ、経営に関わったことはありません。四十九日の後、兄から遺産分割協議書の案が届きました。そこには「医療法人○○会 出資金1000万円」とあり、「病院関係は全部こちらで引き継ぐ。この分は預金で調整する」というメモが添えられていたといいます。
取り寄せた決算書を見ると、法人の純資産はおよそ6億円。父の出資は、出資総額2000万円のうち1000万円、つまり2分の1でした。額面は1000万円ですが、判例の考え方で計算すると、この持分の価値は3億円ほどになります。額面のまま同意してよい内容ではありません。
あなたが相続したのは「持分」か、それとも「払戻請求権」か
「出資持分を相続した」と一言でいっても、あなたの手元にある権利は、実は二通りあり得るからです。ここを取り違えると、選べる現金化の方法も税金も変わってしまいます。
平成19年3月までに設立認可申請をされた「持分あり」の医療法人(経過措置医療法人)では、出資者は定款に基づき、出資額に応じた払戻しや残余財産の分配を受ける権利、すなわち出資持分を持っています。全国に約6万ある医療法人のうち、いまも約6割がこの持分ありの形です(持分あり法人は令和7年3月末で35,766法人)。
持分あり法人の多くは、厚生省時代のモデル定款に沿って「社員は、死亡によってその資格を失う」「社員資格を喪失した者は、その出資額に応じて払戻しを請求することができる」と定めています。この建て付けだと、出資者である社員が亡くなった瞬間に退社したものとして扱われ、その時点で払戻請求権という金銭債権が発生します。相続人が相続するのは、この払戻請求権です。出資持分そのものではなく、「法人にお金を払わせる権利」を相続している——これが、実務でいちばん多い形です。
一方で、定款の作りによっては、社員の死亡で当然に退社とはならず、相続人が持分と社員たる地位をそのまま承継することもあります。また、いったん発生した払戻請求権について、相続人が払戻しを受ける代わりに出資持分を取得して社員になる、という選択が用意されている場合もあります。こうしたときは、相続財産は払戻請求権ではなく「出資(持分)」そのものになります(この違いは相続税の評価方法にも影響します)。
まとめると、次のように分かれます。
| 定款の建て付け | あなたが相続したもの | 現金化の基本 |
|---|---|---|
| 社員の死亡=即退社(モデル定款の典型) | 払戻請求権(金銭債権) | 法人への払戻請求 |
| 相続人が持分・社員の地位を承継できる/払戻しに代えて出資を取得する | 出資持分そのもの | 遺産分割での代償金・譲渡 |
どちらになるかは定款で決まります。だから、最初に確認するものは決算書ではなく、定款です。
請求する前に確かめるべき4つのこと
請求の前に、集めておきたい資料があります。
1.定款(変更履歴も)
持分の定めがあるか。払戻しの規定が「出資額に応じて」型か、「出資額を限度として」型(出資額限度法人)か。あわせて、死亡で即退社となる型か、相続人が持分と社員の地位を引き継げる型かも、ここで確かめます。法人に開示を求めるほか、認可権者である都道府県でも閲覧できます。
2.被相続人の死亡戸籍
払戻請求権は死亡(退社)の時から消滅時効が進みます。令和2年3月31日以前の死亡なら旧民法により原則10年、同年4月1日以後の死亡なら権利を行使できることを知った時から5年で消滅し得ます(民法166条1項)。
3.出資の記録と被相続人の通帳
設立時の出資額、増資や入退社の経緯、出資者名簿。誰がいくら出資し、出資総額がいくらかで持分割合が決まります。名簿に載っているのに実際にはお金を出していない「名義だけの出資者」が見つかることもあり、その場合は割合の計算自体が動きます。被相続人から法人へ出資金が実際に動いたことを通帳や振込記録で押さえておくと、後で「名義だけだ」と言われたときの備えになります。
4.直近数期の決算書・財産目録
純資産の額と土地建物の含み損益。相続税評価額と時価は計算の考え方が違い、金額が数倍ずれることもあります。払戻額の試算は時価ベースで行います。
なお、医療法人が資料を出し渋ることも珍しくありません。その場合、事業報告書・貸借対照表などの決算書類は、都道府県で閲覧できる制度があります。まずはこのルートを当たるのが確実です。
払戻請求権を相続したなら――法人に払い戻させて現金化する
いちばん多いのは、この「払戻請求権を相続した」場合です。相続したのが金銭債権である以上、その金銭債権を行使して法人から支払いを受けるのが現金化の基本になります。
いくら請求できるか
基準は、出資した金額そのものではありません。退社時(=親の死亡時)の法人財産を時価で評価した額に、出資割合を乗じた額です。設立時100万円の出資でも、法人が育っていれば、計算の土台は現在の純資産になります。
この計算のよりどころは、2つの判例です。東京高裁平成7年6月14日判決は、払戻額の基礎を、病院を畳む前提の清算価額ではなく、事業を続ける前提の時価純資産で評価するとし、従業員の退職金などの清算費用や法人税相当額を差し引くことも認めませんでした(上告審の最高裁平成10年11月24日決定も結論を維持)。
相続の場面で決着をつけたのが最高裁平成22年4月8日判決です。モデル定款型の定款について、退社時点の法人財産の評価額に出資割合を掛けた額を請求できると判断しました。ただしこの結論は、払戻しの条項だけでなく、解散時の残余財産を「払込出資額に応じて分配する」と定めた条項と対照して導かれています。手元の定款の残余財産分配条項が別の作りだと、この判決の射程がそのまま及ぶとは限りません。定款を確認するとき、払戻条項とあわせて残余財産分配条項まで見るのは、このためです。
ただし、これはあくまで「出資額に応じて」型の定款の解釈です。「出資額を限度として」払い戻す型(出資額限度法人)であれば、戻るのは額面までです。
誰が請求するか
払戻請求権は金銭債権なので、相続開始と同時に法定相続分どおり当然に分割されるのが原則です(預貯金は最高裁平成28年12月19日大法廷決定で遺産分割の対象とされましたが、その扱いは預貯金にとどまると解されています)。つまり各相続人が、自分の相続分に応じた請求権をそれぞれ持っている状態です。もっとも、当然分割される場合でも、他の遺産とあわせて遺産分割協議の中で取得者を決めることは珍しくありません。
進め方の流れ
- 定款と出資記録で、権利の存在と持分割合を固める
- 決算書と不動産の時価から払戻額を試算する
- 法人に対し、内容証明郵便で払戻しを請求する(時効の完成が6か月猶予され、遅延損害金の起算も押さえられます)
- 協議で折り合わなければ、調停や訴訟へ。金額が激しく争われる事案では、裁判所の鑑定で評価することもあります
実務では、金額と支払い方法の両面で折り合いをつけ、分割払いによる和解で解決が図られることが多いと思われます。判決で一括払いを命じられると、法人の資金繰りがもたないためです。法人側の資金繰りが厳しいときは、融資を利用した一括払いが対案になることもあります。どちらも、病院を続けながら回収するための工夫です。
税金、消滅時効、権利濫用に注意
税負担は軽くありません。払戻額のうち出資額を超える部分は「みなし配当」として総合課税の対象になり(所得税法25条1項6号)、住民税と合わせた税率は最高55%に達します。冒頭の例で3億円の払戻しを受ければ、出資額1,000万円を超える約2億9,000万円が配当扱いです。請求額も和解額も、この税引後の手取りで考える必要があります。
気をつけたいことも2つあります。1つは、さきほど触れた消滅時効。もう1つは権利濫用です。平成22年判決は、法人が経営危機から関係者の努力で再建された経緯や、その資産形成に当該出資者が貢献していないといった事情によっては、請求が権利濫用と評価される余地を示しました。裏を返せば、そうした特殊な経過がなければ濫用の主張は通りにくいのですが、濫用と判断されれば回収はゼロです。それでも相続税は課税済みで、納めた税金を取り戻せるかは確立した扱いがありません。再建の経緯がある法人では、請求に踏み切る前の見極めが、そのまま損得を分けます。
出資持分そのものを相続したなら――遺産分割の代償金か、譲渡で現金化する
定款の定め方で、相続人が持分と社員の地位を承継する場合、あるいは払戻しに代えて出資を取得して社員になる場合は、手元にあるのが「出資(持分)」そのものです。この持分は、金銭債権である払戻請求権と違い、当然には分割されません。株式などと同じく、誰が取得するかを遺産分割で決めることになり、それまでは相続人の準共有(共有に準じた状態)です。遺産分割協議書に持分が載ってくるのは、この場面です。
現金に換える主な道は2つあります。遺産分割の中で代償金を受け取るか、持分を譲渡するかです。
いちばん自然なのは、遺産分割で代償金を受け取る形です。後継者が持分を取得し、その代わりにこちらへ金銭(代償金)を払う、代償分割と呼ばれる分け方です。法人の資金を動かさずに親族の中で清算できるので、病院の経営への影響が小さく、まとまれば円満に近い解決になります。冒頭で兄が「病院関係はこちらで引き継ぐ、この分は預金で調整する」と言ってきたのも、形としてはこれです。
ただし、問題は評価額です。相続税の申告で使う評価額と、判例の基準(時価純資産)で試算した額とでは、数倍ずれることがあります。どちらをベースにして代償金を決めるかで結果が大きく動きますから、「税理士が出した相続税評価額だから」と言われても、署名・押印する前に、時価ベースの試算を自分の側でも持っておくべきです。協議がまとまらなければ、家庭裁判所の調停・審判で持分の評価を争うことになります。
もう一つの道が、持分の譲渡です。買い手になり得るのは、後継者やその親族、法人の関係者、あるいは法人ごと第三者へ承継させるM&Aの場面です。市場で気軽に売れる財産ではありませんが、後継者側には「払戻請求で法人の資金が流出するより、持分を買い取って自分に集約したい」という動機があり、交渉が成立する余地はあります。
税負担の面では、譲渡は払戻しと大きく違います。持分の譲渡益は、原則として申告分離課税(税率およそ20%)の対象です。同じ金額を受け取るなら、みなし配当として総合課税される払戻しより、譲渡の形をとる方が手取りが多く残る可能性があります。
「持分を放棄してほしい」と言われたとき
持分あり法人の相続税対策として、出資者全員が持分を放棄して「持分なし」へ移行する方法があり、国は認定医療法人制度で税制面から後押ししています。認定には期限があり、延長を重ねて、現行では令和11年(2029年)12月31日までとされています。後継者側がこの期限に向けて動くとき、経営に関与していない相続人のもとへ「持分を放棄する書面にサインしてほしい」という依頼が届きます。
押さえておきたいことは2つです。
1つ目。放棄すれば、その持分は1円にもなりません。いったん放棄すると、撤回はまず困難です。
2つ目。持分なしへの移行は、出資者全員の放棄がそろって初めて完成します。あなたが応じない限り、法人側の計画は進みません。つまり放棄の依頼は、持分の価値をどう清算するかという交渉の入口でもあるのです。
落としどころは、無償で放棄に応じるか、放棄の前に払戻しや買取りで支払いを受けるか、その中間のどこかです。ここで法人側には、特定の出資者に「特別の利益」を与えたと評価されると認定や税制優遇に響くという制約があり、相場を超えた上乗せはできません。他方で、移行の期限が迫るほど、法人側には解決を急ぐ事情が生まれます。こうした双方の事情を踏まえて、金額と時期を詰めていくことになります。出資者の一人だけが放棄すると、その分だけ他の出資者の持分の価値が増えたとみて、残った出資者にみなし贈与課税が生じることもあります(相続税法9条)。放棄は、タダで権利を手放して終わり、という単純な話ではないのです。
なお、あなたが相続したのが持分そのものではなく払戻請求権だった場合は、「放棄」ではなく、その請求権を行使しないか、法人や後継者に譲るか、という形での話し合いになります。いずれにしても、署名を求められた書面が何を手放す内容なのかを、先に確かめてください。
やってはいけないこと・よくある失敗
「出資金=額面」のまま遺産分割協議書にサインする
持分を1000万円と評価した遺産分割協議書にサインしてしまうと、後から「実は3億円だった」と気付いても、やり直しは容易ではありません。サインする前に評価。順番はこれだけです。
中身を確かめずに書類にサインする
「移行の手続に必要だから」と言われてサインした書類が持分放棄書だった場合、原則として取り返しがつきません。相続書類へのサインは慎重にする必要があります。
相続税評価額を請求額だと思い込む
課税された評価額と、実際に請求できる額は一致しません。とくに出資額限度法人だと、課税は高めの評価で受け、払戻しは出資額まで、という不一致が起こり得ます。
何年も放置する
平成22年判決の事案では、一人の出資者の分の請求権が時効で消滅したと判断されています。「落ち着いたら兄と話そう」と思っているうちに、権利そのものが消えます。内容証明一通で時効の完成を6か月止められるのに、それをしないまま期限が来る事案が実際にあります。
税金のことを考えない
同じ3億円でも、みなし配当の総合課税と譲渡の分離課税とでは、手取りがかなり変わる可能性があります。税金のことも意識しながら検討した方が安全です。

