遺留分のない相続人に連絡せずに相続不動産を売却した遺言執行者の責任を認めた事例|東京地判平成19年12月3日

判例のポイント

本判決は、清算型包括遺贈(一切の相続財産を換価し、債務・費用等を控除した残余金全部を受遺者に遺贈する形式)の遺言執行において、遺言執行者が遺留分のない法定相続人に対しても、相続財産目録を交付し、遺言執行の状況等について適宜説明・報告すべき義務を負うことを正面から認めたものです。

加えて、相続財産に不動産が含まれている場合については、遺言執行者は善管注意義務の一内容として、就任後遅滞なく相続人に通知するか、または不動産の換価処分に先立って事前にその旨を通知する義務を負うとしました。

そして、これらの義務違反を不法行為と構成し、財産的損害(調査費用・弁護士費用)に加えて精神的損害に対する慰謝料まで認めて、共同不法行為に基づく損害賠償責任を肯定した点に、本判決の実務的意義があります。形式的には遺言執行補助者にすぎない信託銀行についても、実質的に主導的立場で遺言執行に当たっていたと認められる場合には、相続人に対して一般的注意義務を負い、遺言執行者と並んで共同不法行為者としての責任を負うとしました。

目次

判例情報

  • 裁判所:東京地方裁判所
  • 判決日:平成19年12月3日
  • 事件番号:平成18年(ワ)第23616号(損害賠償等請求事件)
  • 関連条文:改正前民法644条、645条、709条、710条、719条、1011条1項、1012条2項、1015条

事案の概要

被相続人が清算型包括遺贈の公正証書遺言を作成して死亡したところ、遺言執行者およびその補助者である信託銀行が、遺留分のない法定相続人らに対して何らの通知もしないまま、相続財産である不動産を売却・取壊しに付した行為が違法であるとして、不法行為に基づく損害賠償等が請求された事案です。

登場人物

  • A:被相続人。配偶者と既に死別、子はなし
  • X1:Aの弟(法定相続人、遺留分なし)
  • X2:Aの長兄の子(法定相続人、遺留分なし)
  • X3:Aの長兄の子(法定相続人、遺留分なし)
  • Y1・Y2:本件遺言の遺言執行者(Aが信仰していた宗教団体の知人)
  • Y3:信託銀行(遺言執行補助者)
  • 受遺者:宗教法人2法人(残余金につき各2分の1の割合での包括受遺者)
  • 訴外Z:本件土地の買主(建設会社)
  • 訴外D:地元の不動産業者

時系列

  • 平成15年3月:Aが本件公正証書遺言を作成
  • 平成17年1月8日:Aが死亡
  • 平成17年5月:遺言執行者らが相続財産目録の作成に着手(同月13日現在判明分として目録作成)
  • 平成18年3月14日:Y1らが申請人となり、本件土地・建物につきX1らの共有名義による相続登記、同日付で本件土地を訴外Zに売却・所有権移転登記
  • 平成18年4月15日:本件建物の取毀登記
  • 平成18年4月17日:X1らが訴外Dからの連絡で本件建物の取壊しを知る
  • 平成18年4月20日:X1らが弁護士に相談
  • 平成18年5月3日:被告ら代理人からX1らに対し初めての連絡文書(本件遺言の具体的内容の記載なし)
  • 平成18年5月17日:X1ら代理人と被告ら代理人の面談(遺言執行の詳細について説明なし)
  • 平成18年6月9日:練馬都税事務所からX1宛に固定資産税の納税通知書が送付
  • 平成18年8月:被告ら連名で説明文書送付
  • 平成18年12月4日:本件訴訟提起後、被告らから原告ら訴訟代理人に相続財産目録(乙1号証)が直送
  • 平成19年12月3日:本件判決言渡し

経緯

被相続人Aは、配偶者と死別し子もいなかったことから、信仰していた宗教団体の知人2名(Y1・Y2)を遺言執行者に指定し、一切の財産を換価して残余金を宗教法人2法人に各2分の1の割合で包括遺贈する旨の公正証書遺言を作成しました。

Aの死亡後、Y1・Y2は遺言執行者への就職を承諾し、専門的知識がなかったため信託銀行Y3を補助者に選任しました。Y3が法定相続人を調査したところ、Aの弟X1と、長兄の子X2・X3が確認されましたが、いずれも兄弟姉妹またはその代襲相続人で遺留分が認められない立場であったことから、被告らはX1らに何らの連絡もしないまま、平成18年3月14日付でX1ら共有名義の相続登記を経由したうえで、本件土地を訴外Zに売却し、本件建物を取り壊したのです。

X1らは、地元不動産業者である訴外Dからの連絡で本件建物が取り壊されていることを初めて知り、調査の結果、自分たち名義の相続登記がなされ、本件土地が既に第三者に売却されていることを把握しました。X1らが弁護士に依頼して被告ら代理人に問い合わせても、登記手続が適法であるとの主張に終始して遺言執行の詳細な説明はなされず、その間にX1宛に固定資産税の納税通知書まで送付されてくる事態となりました。

X1らは、自分たちの実印や印鑑証明書が盗用・偽造されたのではないか、関係のない税負担を強いられるのではないかなどと混乱し、強い精神的ショックを受けたとして、被告らに対し損害賠償と相続財産目録等の交付を求めて本件訴訟を提起しました。

争点

争点1:遺言執行者は、遺留分のない法定相続人に対しても、相続財産目録の交付義務および遺言執行状況の説明・報告義務を負うか

争点の本質的な問いは、遺留分が認められず、包括遺贈によって相続に関する権利を失う立場にある法定相続人について、遺言執行者の交付・報告義務がそもそも及ぶのかという点です。

X1らは、相続財産目録の交付義務(民法1011条1項)や善管注意義務に基づく報告義務は、遺留分の有無で区別されておらず、遺留分のない法定相続人にも等しく及ぶと主張しました。

これに対し被告らは、遺留分のない兄弟姉妹・甥姪は、包括遺贈がなされた以上実質的な相続人としての地位を取得することはなく、相続財産目録の作成への立会いや交付を受けないことで何らの損害も生じないと反論しました。

争点2:遺言執行者は、就任後遅滞なく相続人に通知し、または相続財産の換価処分に先立って事前通知する義務を負うか

明文の規定がないなかで、遺言執行者にどこまでの通知義務を認めるかが争われました。

X1らは、遺言執行者は就任を承諾したらすみやかに法定相続人に通知し、不動産の換価処分にあたっても事前通知が必要であると主張しました。

被告らは、清算型包括遺贈の遺言執行手続には登記手続上も相続人の関与は予定されておらず、現行法に明文の規定もない以上、遺言執行者に通知義務はないと主張しました。

争点3:遺言執行補助者である信託銀行は、独立に共同不法行為責任を負うか

形式上は遺言執行者から選任された補助者にすぎない信託銀行が、相続人に対して独立の損害賠償責任を負うのはいかなる場合かが争われました。

X1らは、Y3が遺言執行の中心的役割を実質的に果たしており、相続人に対しても通知・説明をすべき義務を負っていたと主張しました。

被告らは、Y3はあくまで補助者にすぎず、遺言執行者である自然人2名と独立に責任を負う立場にはないと反論しました。

裁判所の判断

判旨の要約

裁判所は、遺言執行者は遺留分のない法定相続人に対しても相続財産目録の交付義務および遺言執行状況の適宜の説明・報告義務を負い、また、相続財産に不動産が含まれる場合には善管注意義務の一内容として就任通知または換価処分前の事前通知義務を負うとし、本件において被告らがこれらの義務を怠ったことは共同不法行為に当たるとして、損害賠償義務を肯定しました。

判決文の引用

遺留分のない法定相続人に対する義務について、裁判所は次のように述べています。

遺言執行者は、遺留分が認められていない相続人に対しても、遅滞なく被相続人に関する相続財産の目録を作成してこれを交付するとともに、遺言執行者としての善管注意義務に基づき、遺言執行の状況について適宜説明や報告をすべき義務を負うというべきである。

事前通知義務について、裁判所は次のように判示しました。

遺言執行者は、相続人が何らかの事情によって被相続人が遺贈をしていることを知っていることを把握している場合や、相続財産が動産や現金等だけで不動産を含まず、即時取得(民法192条)の規定などによって第三者も保護されるような場合でない限り、相続人が不測の損害や不利益を被ることがないよう、前述の遺言執行者としての善管注意義務(民法1012条2項,同法645条)の一内容として、相続人に対し、遅滞なく遺言執行者に就任したことを通知するか、又は、相続財産に属する不動産の換価処分に先立って当該不動産を遺言により換価処分する旨を通知しなければならないというべきである。

判例の考え方

裁判所は、まず民法1011条1項(相続財産目録の作成・交付義務)と民法1012条2項・645条(善管注意義務に基づく報告義務)の文言を出発点として、これらの規定が相続人について遺留分の有無で区別を設けていないことを指摘します。そのうえで、相続財産全部が包括遺贈されると遺留分のない法定相続人は相続に関する権利をすべて失うのであるから、その包括遺贈の成否等を直接確認する法的利益があり、遺言執行者の義務は遺留分のない相続人にも等しく及ぶという解釈を採りました。

もっとも、遺留分のない相続人による遺言執行行為への過度の介入によって、かえって適正な遺言執行が妨げられる懸念もあるため、説明・報告の内容や時期は、適正かつ迅速な遺言執行の必要性や相続人に生じる可能性のある不利益などを総合的に勘案して個別具体的に判断されるべきものとしています。

事前通知義務については、明文の規定がないことを認めつつも、相続人が遺贈の事実を知らずに相続財産を処分すれば取引の効果が否定されて取引相手や相続人自身に不利益が及ぶこと、遺言執行者の単独申請で相続人名義の相続登記を経由する過程で、相続人に固定資産税や譲渡所得税が形式的に賦課されて混乱が生じ得ることを理由として、善管注意義務の一内容としての就任通知または事前の換価処分通知の義務を導きました。ただし、相続人が遺贈の事実を既に知っている場合や、即時取得などで第三者が保護される動産・現金のみの場合は、この義務の例外として明示しています。

補助者である信託銀行の責任については、形式的には補助者にすぎないものの、被告ら名義の通知文書の連絡先がY3の担当者名義であったこと、各通知にいずれもY3が連名で加わっていたこと、Y3が業として遺言執行を代行する立場にあって通知の必要性等を十分に知り得たことなどから、本件遺言執行において実質的に主導的立場で処理に当たっていたと推認しました。そのうえで、Y3は相続人が遺言執行者から必要な通知を受ける権利等を不当に侵害しないようにする一般的な注意義務を負っており、これに違反したとして、Y1・Y2と並んで共同不法行為責任を負うとしました。

結論に至る処理

本件において、被告らが相続財産目録を作成してから原告ら訴訟代理人に交付するまで約1年半以上を要したこと、平成18年5月3日付の連絡文書にも本件遺言の主要な内容(受遺者や相続財産の内容など)がほとんど記載されていなかったこと、本件土地の売却に先立つ事前通知も行われていなかったことから、遅滞ない相続財産目録交付義務および就任通知・事前通知義務のいずれにも違反があったと認定されました。

損害については、訴外Dへの調査費用5万円、粕谷弁護士への相談費用10万円、本件訴訟の弁護士費用30万円(原告1人あたり10万円)の合計45万円(原告1人あたり15万円)を財産的損害として認め、加えて精神的損害に対する慰謝料として原告1人あたり10万円を相当としました。結論として、被告らが連帯して原告ら各人に対し25万円ずつおよび遅延損害金を支払うべきものとして、その限度で原告らの請求を認容しました。

なお、別途請求されていた相続財産目録の交付請求については、訴訟提起後に乙1号証として現実に目録が交付されているため、改めて命じる必要性はないとして棄却され、相続税申告書・不動産譲渡所得税申告書の写しの交付請求も、民法1011条1項の交付義務の対象は「相続財産の目録」に限られ、善管注意義務に基づく報告は遺言執行が適正に実施されたことを確認できる程度で足りるとして、棄却されました。

判例の射程

本判例の射程について、判決文の表現に即して整理します。

第一に、本判例は、相続財産の全部を換価して債務・換価費用等を控除した残余金を第三者に遺贈する「清算型包括遺贈」を直接の対象としています。一切の財産を換価する形式でない通常の包括遺贈や特定遺贈について、本判決の事前通知義務の枠組みがそのまま及ぶかは、判決文からは確定的には読み取れません。

第二に、事前通知義務が認められる前提として、判決文は相続財産に「不動産」が含まれる場合を想定しています。判決文は、相続財産が動産や現金のみで不動産を含まず、即時取得(民法192条)等の規定によって第三者も保護される場合は、義務の例外として明示しています。

第三に、相続財産目録の交付義務および遺言執行状況の説明・報告義務については、相続人が遺留分を有するか否か、遺贈が個別の財産を贈与するものか全財産の包括遺贈であるかを問わず、等しく適用されるものとして判示されています。

第四に、相続人が遺贈の事実を既に把握していると遺言執行者が認識している場合は、就任通知または事前の換価処分通知の義務の対象から除外されることが明示されています。

第五に、補助者の共同不法行為責任が認められたのは、本件信託銀行が「実質的には主導的立場で積極的に処理に当たっていたものと推認される」事案でした。形式的に補助者として関与するにとどまる場合にまで、当然に同様の責任が及ぶかどうかは、判決文の射程としては明確ではありません。

第六に、本判決は説明・報告の内容や時期について、「適正かつ迅速な遺言執行を実現するために必要であるか否か、その遺言執行行為によって相続人に何らかの不利益が生じる可能性があるか否かなど諸般の事情を総合的に勘案して、個別具体的に判断されるべき」としており、義務の具体的な内容・程度は事案ごとに判断されるものとされています。

実務での使い方

使える場面

本判決の実務的価値は、遺言執行者および補助者の通知・説明・報告義務を肯定したこと自体にとどまりません。それらの義務違反を不法行為と構成し、調査費用・弁護士費用・慰謝料という具体的な損害賠償を認めた点に、相続実務での使いどころがあります。

なお、平成30年法律第72号による相続法改正(令和元年7月1日施行)により、現行民法1007条2項として「遺言執行者は、その任務を開始したときは、遅滞なく、遺言の内容を相続人に通知しなければならない。」との明文の通知義務が新設されました。本判決は善管注意義務の一内容として「遅滞なく遺言執行者に就任したことを通知する」義務等を導いていたものですが、現行法はこれをさらに進めて、就任の事実にとどまらず遺言の内容まで通知することを求めています。本判決は、この新規定の解釈・運用の前史をなす裁判例として、現在も参照される意義があります。

また、現行民法1015条は、旧法の「相続人の代理人」と位置付ける構成を改め、「遺言執行者がその権限内において遺言執行者であることを示してした行為は、相続人に対して直接にその効力を生ずる」と規定するに至りましたが、相続人に対する善管注意義務の枠組み自体は維持されています。

相続人側(請求する側)の主張

遺言執行者やその補助者から、就任通知・遺言の内容の説明・相続財産目録の交付・換価処分の事前通知のいずれかを受けていない場合には、本判決を引用して、これらの義務違反を理由とする不法行為責任を主張することが考えられます。

とりわけ、清算型包括遺贈の事案で、相続人名義への相続登記を経由する過程で固定資産税・譲渡所得税の納税通知書が相続人宛に送付されたり、第三者からの問い合わせで初めて相続財産の処分を知ったりした場合には、本判決の事案類似性が高く、有力な主張根拠となります。

損害項目としては、本判決で認められた調査費用、弁護士相談費用、訴訟弁護士費用、精神的損害に対する慰謝料が一つの基準となります。

遺言執行者・補助者側(対抗する側)の主張

本判決は説明・報告の内容や時期について「個別具体的に判断されるべき」としており、すべての遺言執行行為に先立って常に通知・説明する義務まで認めたわけではありません。相続人が既に遺贈の事実を知っている場合、迅速な遺言執行の必要性が高い場合、相続人による過度の介入が懸念される場合などには、義務の範囲・程度が限定されることを主張する余地があります。

補助者の責任については、本判決はあくまで補助者が「実質的に主導的立場で積極的に処理に当たっていた」と推認された事案であって、形式的・限定的な補助業務にとどまる場合には射程外であると反論することも考えられます。

立証上のポイント

請求側で押さえるべき立証事項は、概ね次のとおりです。遺言執行者の就任時期と、それから相続財産目録の交付や就任通知までの間に生じた遅延の有無・程度、補助者の関与の態様(連絡文書の名義、現実の事務処理の主導者)、不動産処分の事前通知の有無、相続人が遺贈の事実を知った経緯と時期、通知・説明の不十分さによって相続人が被った具体的な不利益(固定資産税の納税通知の到来、調査費用・弁護士費用の発生、精神的混乱の具体的内容)といった点です。

特に、相続人名義の相続登記を経由したことに伴う税負担や納税通知の送付は、本判決でも精神的損害の重要な根拠とされていますので、客観的資料(登記事項証明書、納税通知書、納付済証等)で押さえておくことが大切です。

併せて検討すべき周辺論点

本判決が直接扱わない周辺の論点としては、清算型包括遺贈における遺言執行者の権限の範囲(相続人名義への中間登記を経由せず直接受遺者または買主名義に移転登記できるかという登記実務上の問題)、任務違背による遺言執行者の解任請求(民法1019条1項)との関係、補助者である信託銀行の信託業務上の責任との関係などが、関連して検討の対象となります。

また、本判決は改正前民法に基づく判断ですので、現在の事案で本判決を援用する際は、現行民法1007条2項の新設、1012条の条文構造の変更(受任者規定の準用が3項に整理されたこと)、1015条の改正といった改正法との対応関係を踏まえて、主張を組み立てることが必要です。

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