遺産総額を大きく上回る掛け捨て生命保険の死亡保険金について持戻しを否定した事例 | 広島高決令和4年2月25日

判例のポイント

死亡保険金請求権が民法903条の類推適用により特別受益に準じて持戻しの対象となるかについて、最決平成16年10月29日の枠組みを前提に「特段の事情」の有無を判断した事例です。本件では、死亡保険金の合計が遺産分割対象財産の約4.6倍、相続開始時遺産総額の約2.7倍に達するという高い比率でしたが、掛け捨て保険であって金額が一般的な夫婦間の生命保険金額と比べてさほど高額ではないこと、受取人を配偶者とした経緯が生活保障目的であったこと、抗告人(母)が長年別居・生計別であったこと等を総合考慮し、特段の事情の存在を否定しました。比率の高さだけでは持戻しが認められないことを示す実務上参考になる事例です。

目次

判例情報

  • 裁判所:広島高等裁判所
  • 判決日:令和4年2月25日(決定)
  • 事件番号:令和4年(ラ)第3号
  • 関連条文:民法903条、保険法42条

事案の概要

被相続人の母である抗告人が、被相続人の妻である相手方を相手取って遺産分割を申し立てたところ、相手方が受け取った死亡保険金合計2100万円を民法903条の類推適用により特別受益に準じて持戻しの対象とすべきかが争われた事案です。

登場人物

  • 被相続人:昭和39年生、平成28年死亡。トラック運転手として勤務し、月額20万円ないし40万円の給与を得ていた。
  • 抗告人A:被相続人の母。外国籍。1939年生。昭和の終わり頃から被相続人とは別居し、生計も別。
  • 相手方B:被相続人の妻。昭和42年生。婚姻前を含めて被相続人と約30年同居、婚姻期間は約20年。同居開始後は専業主婦。子はなし。

時系列

  • 昭和の終わり頃:被相続人と相手方Bが借家で同居開始。抗告人Aは被相続人と別居・生計別となる。
  • 平成2年8月1日:被相続人が本件保険1(定期保険特約付終身保険、契約締結当初の死亡保険金額3000万円、受取人は被相続人の父)を契約。
  • 平成9年10月13日:被相続人と相手方Bが婚姻。同年頃、本件保険1の保険金額を2000万円に減額、受取人を相手方Bに変更(月額保険料約1万2000円)。
  • 平成13年1月29日:被相続人が本件保険2(がん保険、死亡保険金100万円、受取人は相手方B、月額保険料約2000円)を契約。
  • 平成22年:被相続人の父死亡。父の自宅不動産は被相続人の姉が相続し、抗告人A、被相続人の姉、被相続人の妹の3人が同不動産で生活。
  • 平成28年:被相続人死亡。相続開始時の遺産は評価額合計772万3699円(うち遺産分割対象財産は459万0665円)。本件死亡保険金合計2100万円が相手方Bに支払われる。
  • 令和2年9月18日:抗告人Aが広島家庭裁判所に遺産分割調停を申立て。
  • 令和3年10月1日:調停不成立、審判手続に移行。
  • 令和3年12月17日:広島家庭裁判所が原審判(持戻しを否定し、相手方Bに全遺産を取得させ、抗告人Aに代償金153万0222円を支払う旨)。
  • 令和4年2月25日:広島高等裁判所が抗告棄却決定(本決定)。

経緯

被相続人と相手方は約30年の同居期間を経て婚姻した夫婦で、子はおらず、相手方は、同居開始後、一貫して専業主婦でした。被相続人は、婚姻後、当初は父を受取人としていた定期保険特約付終身保険について、保険金額を減額するとともに受取人を相手方に変更しています。被相続人死亡後、相手方は合計2100万円の死亡保険金を受領しました。

他方、抗告人は被相続人とは長年別居して生計も別でしたが、被相続人の遺産として遺産分割の対象となる財産は459万0665円にとどまり、これを法定相続分(母3分の1、妻3分の2)で按分すると、抗告人の取得分は153万0222円にとどまります。これに対し相手方は、法定相続分に基づく取得分約306万円に加えて死亡保険金2100万円を取得することになるため、抗告人は、死亡保険金を特別受益に準じて持ち戻すべきであると主張しました。

争点

死亡保険金は民法903条の類推適用により特別受益に準じて持戻しの対象となるか

最決平成16年10月29日が示した枠組みのもとで、本件死亡保険金について、相手方とその他の共同相続人との間に生ずる不公平が民法903条の趣旨に照らし到底是認することができないほどに著しいものであると評価すべき「特段の事情」が存するかが争点となりました。

抗告人は、本件死亡保険金合計2100万円が遺産分割対象財産459万0665円の約4.6倍にも達し、その遺産総額に対する比率は極めて高いこと、相手方は遺族年金を受給しており生活保障の必要性は薄いこと、抗告人こそ高齢で年金受給資格もなく生活保障の必要性が高いことなどから、特段の事情が認められると主張しました。

これに対し相手方は、平成16年最決は比率のみならず諸般の事情を総合考慮するものであるところ、本件保険は掛け捨ての保険で保険料も過大でなく、本件死亡保険金額は加入当時及び相続開始時における平均的な金額の範囲内であり、被相続人と相手方の婚姻期間・同居期間、相手方が一貫して専業主婦であったこと、子がなく相手方の生活を保障する趣旨で受取人が相手方とされた経緯等からすれば、特段の事情はないと反論しました。

裁判所の判断

判旨の要約

広島高裁は、平成16年最決の枠組みを前提に、本件死亡保険金の遺産総額に対する割合は非常に大きいものの、保険金額が一般的な夫婦における夫を被保険者とする生命保険金額と比較してさほど高額でないこと、本件死亡保険金が被相続人の死後における妻の生活を保障する趣旨であったこと、抗告人と被相続人との関係(長年の別居・生計別)等を総合考慮し、特段の事情は認められないとして抗告を棄却しました。

判決文の引用

本件死亡保険金の合計額は2100万円であり、被相続人の相続開始時の遺産の評価額(772万3699円)の約2.7倍、本件遺産分割の対象財産(遺産目録記載の財産)の評価額(459万0665円)の約4.6倍に達しており、その遺産総額に対する割合は非常に大きいといわざるを得ない。しかしながら、まず、本件死亡保険金の額は、一般的な夫婦における夫を被保険者とする生命保険金の額と比較して、さほど高額なものとはいえない。

本件死亡保険金は、被相続人の死後、妻である相手方の生活を保障する趣旨のものであったと認められるところ、相手方は現在54歳の借家住まいであり、本件死亡保険金により生活を保障すべき期間が相当長期間にわたることが見込まれる。これに対し、抗告人は、被相続人と長年別居し、生計を別にする母親であり、被相続人の父(抗告人の夫)の遺産であった不動産に長女及び二女と共に暮らしていることなどの事情を併せ考慮すると、本件において、前記特段の事情が存するとは認められない。

判例の考え方

裁判所は、平成16年最決が示す総合考慮の枠組みを忠実に適用しました。すなわち、保険金の額及び遺産総額に対する比率という客観的な事情だけでなく、保険金受取人である相続人と被相続人との関係、各相続人の生活実態等を総合的に考慮するという立場です。

本決定が特段の事情を否定した実質的な理由は、おおむね次のとおり整理できます。第一に、保険金額そのものが、生命保険文化センターの調査による男性加入者の平均的な死亡保険金額(平成3年で2647万円、平成28年で1850万円)と比較して、さほど高額とはいえないことです。比率は遺産が小さいために大きく見えるものの、保険金額の絶対額は平均的な範囲にとどまります。第二に、本件保険1について、被相続人が婚姻を機に受取人を父から相手方に変更し、保険金額を3000万円から2000万円に減額するとともに、月額約1万2000円という被相続人の収入(手取り20万円ないし40万円)に照らして過大でない保険料を払い込み続けてきたという経緯です。これらは、被相続人が妻の死後の生活保障を意図して保険を維持してきたことを強く示すものとされています。第三に、相手方が54歳の借家住まいで、子もなく、長期にわたって生活保障を要する立場にあるのに対し、抗告人は被相続人と長年別居して生計を別にし、夫の遺産であった不動産に長女・二女と暮らしているという生活実態の違いです。

裁判所はさらに、抗告人が指摘する相手方による被相続人財産からの利得についても、別訴の確定判決等を踏まえ、特段の事情の判断を左右するものではないとしました。

結論に至る処理

以上を総合し、相手方と抗告人との間に生ずる不公平が民法903条の趣旨に照らし到底是認することができないほどに著しいものとは評価できないとして、本件死亡保険金は民法903条の類推適用による特別受益に準じた持戻しの対象とならないと判断し、原審判を維持しました。

判例の射程

本判例の射程について、判決文の表現に即して整理します。

本決定は、平成16年最決が示した「特段の事情」の枠組みを前提とした事例判断です。判決文は、保険金の額、この額の遺産の総額に対する比率、保険金受取人である相続人及び他の共同相続人と被相続人との関係、各相続人の生活実態等の諸般の事情を総合考慮するという枠組みをそのまま引用しています。

したがって、本決定は、比率(本件では分割対象財産の約4.6倍、相続開始時遺産総額の約2.7倍)が高いことのみをもって直ちに特段の事情が肯定されるわけではないことを、具体的事案に即して示したものといえます。判決文が特段の事情を否定する根拠として挙げているのは、おおむね次の事情の組み合わせです。すなわち、保険金額が一般的な夫婦における夫を被保険者とする生命保険金額と比較してさほど高額でないこと、被相続人が婚姻を機に受取人を妻に変更し過大でない保険料を払い込み続けてきた経緯から保険が妻の生活保障の趣旨であったと認められること、妻が54歳の借家住まいで生活保障期間が長期にわたることが見込まれること、母である抗告人が被相続人と長年別居して生計を別にし、夫の遺産であった不動産で長女・二女と暮らしていることです。

これらの事情のいずれかが欠ける場合、たとえば保険金額が平均的な範囲を大きく超える場合や、保険の性質が掛け捨てではなく貯蓄性の強い養老保険等である場合、あるいは他の相続人が被相続人と同居して生計を共にしてきた未成熟子である場合などには、本決定と同様の結論となるとは限りません。本決定の射程は、判決文が示す上記の事情の組み合わせの範囲で理解する必要があります。

関連判例

  • 最決平成16年10月29日(民集58巻7号1979頁):被相続人を保険契約者及び被保険者とし、共同相続人の1人又は一部の者を保険金受取人とする保険契約に基づき保険金受取人とされた相続人が取得する死亡保険金請求権は、原則として民法903条1項の遺贈又は贈与に係る財産には当たらないが、保険金の額、この額の遺産の総額に対する比率、保険金受取人である相続人及び他の共同相続人と被相続人との関係、各相続人の生活実態等の諸般の事情を総合考慮して、特段の事情がある場合には同条の類推適用により特別受益に準じて持戻しの対象となる旨を判示した最高裁決定。本決定が前提とする枠組みを示した先例です。

実務での使い方

使える場面

被相続人を契約者兼被保険者とし、共同相続人の1人を死亡保険金の受取人とする生命保険契約に基づき、その相続人が高額の死亡保険金を受領した場合に、他の共同相続人がこれを民法903条の類推適用により特別受益に準じて持ち戻すべきと主張する遺産分割の場面で参照される判例です。本決定は、比率が遺産総額の数倍に及ぶ事案でも特段の事情が否定された例として、双方の主張組み立てに活用できます。

持戻しを主張する側(他の共同相続人)

平成16年最決の枠組みを前提に、特段の事情の存在を基礎づける事情を具体的に積み上げる必要があります。比率の高さだけを強調しても本決定のように退けられる可能性があるため、以下の点を併せて立証することが重要です。

第一に、保険の性質です。養老保険など貯蓄性の強い保険であれば、被相続人の生前資産形成の延長として実質的に被相続人の財産を承継したと評価される余地が大きく、特別受益性を肯定する方向に働きます。

第二に、保険金額の絶対額が平均的な範囲を超えていることです。生命保険文化センターの調査結果等の客観的資料を用いて、本件保険金額が一般的な水準と比較して過大であることを示します。

第三に、受取人とされた相続人の生活保障の必要性が乏しいことです。受取人が十分な資産・収入・他の財産を有している場合や、独立して生計を営んでいる場合には、生活保障目的という認定を覆す材料となります。

第四に、自らの側の生活保障の必要性です。受取人とされなかった相続人が経済的に困窮している事情、他に承継すべき財産がない事情等は、不公平の著しさを基礎づける事実として主張する余地があります。

持戻しを否定する側(死亡保険金の受取人)

本決定が特段の事情を否定するために挙げた事情を、自らの事案に引き寄せて主張・立証することが基本となります。

まず、保険の性質が掛け捨てであることを明らかにします。保険証券、保険会社からの回答書等で保険の種類(定期保険、終身保険、がん保険等)と貯蓄性の有無を示します。

次に、保険金額が平均的な範囲内にとどまることを、生命保険文化センターの調査結果等を引用して示します。

さらに、受取人指定の経緯が生活保障目的であったことを示す事情を集めます。本決定では、被相続人が婚姻を機に受取人を変更し保険金額を減額した事実、被相続人の収入に照らして過大でない保険料を継続的に払い込んでいた事実が重視されました。受取人変更の時期、保険料の負担状況、被相続人の収入水準等を具体的に主張します。

加えて、受取人とされた相続人が被相続人と長期間生活を共にしてきた事情、子の有無、就労状況、現在の住居・年齢・資産状況など、生活保障の必要性を示す事情を整理します。

そして、他の共同相続人と被相続人との関係についても、別居・生計別であった事情、当該相続人が他に承継した財産がある事情等を主張することが、本決定の事案との類似性を主張するうえで有効です。

立証上のポイント

死亡保険金が高額で比率も高い事案であったとしても、客観的な数字だけでは決着がつきにくく、結局のところ「保険の性質と受取人指定の経緯」「双方の生活実態」をどれだけ具体的に立証できるかが結果を左右します。具体的には、保険証券・保険会社作成の回答書・契約変更履歴、被相続人の所得証明や給与明細、生命保険文化センター等の統計資料、双方の住民票・固定資産税納税通知書・年金支給通知書等が有用です。受取人とされた相続人の側では、被相続人との同居・婚姻に関する事情、子がいない事情、専業主婦・専業主夫であった事情を、本人の供述だけでなく客観資料で裏付けることが望ましいといえます。

併せて検討すべき周辺論点

死亡保険金については、特別受益に準じた持戻しの可否のほかに、持戻し免除の意思表示(明示・黙示)の有無も問題となり得ます。原審においても、相手方が予備的に被相続人の黙示の持戻し免除の意思表示を主張していました。仮に特段の事情が肯定された場合であっても、被相続人の意思解釈によって持戻しが免除される余地があるため、双方の側で被相続人の生前の言動を整理しておく必要があります。

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