「相続分なきことの証明書」だけで遺産分割協議は成立するか──証明書の作成のみでは協議の成立を認めなかった事例|名古屋高決金沢支部平成9年3月5日
いわゆる「相続分なきことの証明書」が作成され、それに基づいて特定の相続人名義に相続登記が経由されていたとしても、その一事をもって共同相続人間に遺産分割協議が成立したと認めることはできません。本決定は、土地改良事業の換地処分のために集められた証明書について、実際に分割協議がなされた形跡がないとして、協議の成立を認めた原審判を取り消し、遺産分割の審判をやり直すよう差し戻した事例です。相続開始から長期間が経過し、特定の相続人が不動産を占有管理していたという事情があっても、それだけでは協議成立の根拠にならないことも示されています。
判例情報
- 裁判所:名古屋高等裁判所金沢支部
- 決定日:平成9年3月5日
- 事件番号:平成9年(ラ)第2号
- 関連条文:民法903条、907条
事案の概要
本件は、いわゆる「相続分なきことの証明書」が作成され、それに基づいて特定の相続人名義に相続登記が経由されていた事案で、それだけで遺産分割協議が成立したと認められるかが争われたものです。
「相続分なきことの証明書」とは、ある相続人が「被相続人の生前に相続分を超える贈与(特別受益)を受けているので、その遺産について受け取るべき相続分はない」ことを証明する書面です。「相続分皆無証明書」「特別受益証明書」とも呼ばれます。実務では、特定の相続人に不動産を単独名義で相続登記する際に、他の相続人から集めて登記申請に添付することが少なくありません。
登場人物
- A(被相続人・父):昭和27年に死亡。遺産として複数の土地と建物を所有していた。
- B(被相続人・母):Aの妻。昭和47年に死亡。Aの遺産についての相続分を承継していた。
- C(A・Bの長男):昭和50年に死亡。土地改良事業の換地処分を機に相続手続を進めようとしたが、完了前に亡くなった。
- Y(Cの長男・相手方):Cの死後、各共同相続人から「相続分なきことの証明書」を集めて土地改良区に提出し、相続登記を進めた中心人物。建物に居住し、土地を管理占有している。
- X(A・Bの二男・抗告人):登記上、土地の一部を取得した名義人。長く遠方に居住しており、Cの生前に相続の話をしたことがなかったと述べた。
- その他の共同相続人ら:A・Bの子および孫ら。多くが「相続分なきことの証明書」を作成した。
時系列
- 昭和27年9月23日:A死亡(相続開始)
- 昭和28年2月頃:B・C・Xらの間で遺産分割の協議が試みられるが成立せず、不動産はA名義のまま放置される
- 昭和40年代:土地について土地改良事業が進められ、換地処分がなされることに
- 昭和47年2月11日:B死亡(相続開始)
- 昭和50年8月4日:C死亡(換地処分の前)
- 昭和50年8月〜昭和51年3月頃:YがCの相続人として、各共同相続人から「相続分なきことの証明書」を集める
- 昭和51年5月〜6月:証明書に基づき、土地改良区の代位により相続登記が経由される(土地の大半はY名義、一部はX名義)。その後、換地処分がなされる
- 平成8年:本件遺産分割の申立て
- 平成8年12月25日:富山家庭裁判所高岡支部が申立てを却下(原審判)
- 平成9年3月5日:名古屋高等裁判所金沢支部が原審判を取り消し、差戻し
経緯
Aは適式の遺言を残さずに死亡し、遺産分割協議も成立しないまま、不動産はA名義のまま長期間放置されました。その後Bも死亡し、長男Cも、土地改良事業の換地処分を機に相続手続を進めようとしたものの、完了をみないまま亡くなりました。
Cの長男であるYは、土地のうち一部をXに、その余の土地を自ら相続取得するため、昭和50年8月頃から各共同相続人に対して、A・Bからの相続分がないことの証明を依頼して回りました。こうして集められた「相続分なきことの証明書」と印鑑登録証明書を土地改良区に提出し、土地改良登記令に基づく改良区の代位登記によって、土地の大半がY名義に、一部がX名義に相続登記されました。その後、換地処分がなされています。なお、建物についてはA名義の登記が残されたままでした。
ところが、それから長い年月が経った後に遺産分割の申立てがなされます。Aの相続開始から44年、Bの相続開始から24年が経過していました。これに対して原審判は、遅くとも証明書が作成された昭和50年8月から昭和51年3月頃までに、その後の登記どおりに相続取得させる旨の分割協議が成立したものと認められるとして、遺産分割の申立てを却下しました。これを不服として、抗告人らが即時抗告を申し立てたのが本件です。
争点
「相続分なきことの証明書」の作成だけで、遺産分割協議の成立を認めることができるか
──「相続分なきことの証明書」が作成され、それに基づいて相続登記が経由されているという外形的な事実から、共同相続人間に遺産分割協議が成立したと認定できるか、というのが本件の本質的な問いです。
原審判の立場(協議成立を認定):遅くとも証明書が作成された昭和50年8月から昭和51年3月頃までに、その後手続された登記どおりに相続取得させる旨の分割協議が成立したと認めるのが相当である。建物についても、敷地を所有することになる相続人が取得する旨の協議が成立したと認められる。相続開始から長期間が経過し、特定の相続人が不動産を占有管理しているという事情も、これを裏付ける。
抗告人らの主張(協議不成立):証明書は、土地改良事業の換地処分のために必要があるとの理由で集められたものにすぎず、共同相続人間で実際に分割協議がなされた事実はない。登記を進めたYですら、相続人間で何らの協議もなされていないことを認めている。少なくとも相続の登記がされていない建物が存在する以上、未相続と判断すべきであって、協議が成立したとした原審判には誤りがある。
裁判所の判断
判旨の要約
- 結論:相続分なきことの証明書が作成され、それに基づいて相続登記が経由されていても、それだけでは共同相続人間に遺産分割協議が成立したものと認めることはできない。
- 理由:証明書は土地改良事業の換地処分のために集められたものであって、そのころに共同相続人間で分割協議がなされた形跡が見られず、登記を進めた相続人自身も含めて、当事者が協議の事実を否定しているから。
判決文の引用
抗告審は、まず代位登記がなされた事実からすれば、換地処分までの間に共同相続人間で遺産分割の協議がなされたと見られなくはない、と一旦は述べます。しかし、証明書が集められた経緯や当事者の認識を具体的に検討したうえで、次のように判断しました。
これらの事実からすると、上記相続分なきことの証明書が作成されたことをもって、換地処分に際し……共同相続人間に遺産分割協議が成立したものと認めることはできない。
そして、相続開始から長期間が経過していることについても、それをもって遺産分割協議が成立したと認めることはできないことは当然である、と付け加えています。
判例の考え方
本決定の判断は、次のように整理できます。
第1に、外形的な事実だけでは協議成立を推認できないという点です。証明書の作成・提出と、それに基づく相続登記の経由という外形は確かに存在します。けれども、その証明書が何のために集められたのかを問うと、本件では土地改良事業の換地処分という、遺産分割とは別の目的のために集められたものでした。登記の便宜のために集められた書面の存在から、ただちに分割協議の合意があったと推認することはできない、というのが出発点になっています。
第2に、協議の「形跡」を実質的に検討している点です。抗告審は、証明書が作成されたころに共同相続人間で実際に分割についての話し合いがあったかどうかを、具体的な事実に即して検討しました。長く遠方に居住していた抗告人がCの生前に相続の話をしたことがなかったこと、ほかの抗告人らも両親の遺産について話し合いをしたことが一度もなかったこと、そして何より、登記を進めたY自身が「他の土地はどうするかとの話は何もなかった」「登記が完了して以降、遺産分割についての話は全くしていない」旨を述べていたことを重視しています。登記名義を得た当事者すら協議の存在を否定しているという事実が、結論を支える決め手になりました。
第3に、長期間の経過や占有管理は協議成立の根拠にならないという点です。相続開始から数十年が経過し、特定の相続人が建物に居住して土地を管理占有していたとしても、それは協議が成立したことを意味しません。分割協議が調わないまま、相続人の一人が占有管理を続ける例はめずらしくないからです。
結論に至る処理
抗告審は、本件では遺産分割協議が成立したとは認められない以上、A及びBの各遺産について分割の審判をすべきであると判断しました。協議が成立済みであることを理由に申立てを却下した原審判は不当であるとして、これを取り消し、富山家庭裁判所に差し戻しています。
なお、差戻しにあたって、特定の土地がそもそもAの遺産に属するかどうか(その土地の従前地を長男Cが自作農創設特別措置法に基づく売渡しによって取得していた疑いがある点)について、分割の対象となる遺産の範囲はなお検討の余地があると指摘し、差戻し後の審理に委ねています。
判例の射程
本判例の射程について、判決文の表現に即して整理します。
「相続分なきことの証明書の作成のみ」では協議成立を認めない、という判断
本決定が否定したのは、「相続分なきことの証明書」の作成と、それに基づく相続登記の経由という外形的事実だけから、遺産分割協議の成立を認定することです。証明書が常に無意味であるとか、証明書があれば必ず協議が否定される、と述べているわけではありません。証明書の作成のほかに、実際に共同相続人間で分割についての協議があったことを示す事情があれば、協議の成立が認められる余地は残されています。
本件の具体的事実関係に基づく判断であること
協議成立を否定するという結論は、本件の具体的な事実関係に支えられています。すなわち、証明書が換地処分のために集められたものであったこと、共同相続人らが協議の事実を否定していたこと、とりわけ登記名義を得たY自身が協議の存在を否定していたことです。証明書が作成された経緯や当事者の認識が本件と異なる事案では、結論が異なり得ます。
長期間の経過・占有管理が協議成立の根拠にならないという限定
相続開始から長期間が経過し、特定の相続人が不動産を占有管理しているという事情は、それ自体では協議成立を認める根拠になりません。この点は、本件のように相続開始から数十年が経過した古い相続の処理において、重要な意味を持ちます。
相続登記の効力そのものは判断していないこと
本決定は、遺産分割審判の抗告審として、共同相続人間に遺産分割協議が成立したか否かを判断したものです。証明書に基づいて経由された相続登記の効力そのもの(登記が有効か無効か、抹消が認められるか)について判断したものではありません。協議の不成立と、登記の効力の問題は、別の手続で検討すべき問題として残ります。
実務での使い方
本決定は、古い相続において「相続分なきことの証明書」が便宜的に作成され、特定の相続人名義に相続登記がされているが、実際には分割協議をした覚えがない、という争族の場面で参照されます。
使える場面
典型的なのは、過去に一部の相続人が登記の便宜のために「相続分なきことの証明書」を集めて単独名義の相続登記をしていたところ、後になって、証明書を作成した相続人(またはその相続人)が「協議などしていない、自分の相続分があるはずだ」と主張する場面です。これに対して、登記名義を持つ側が「証明書がある以上、協議は成立している」と反論してくる、という構図になります。
本決定は、この場面で「証明書の作成だけでは協議成立は認められない」という結論を基礎づけます。古い相続の処理では、書面の存在と登記の外形だけが残り、当時の事情が分からなくなっていることが多いため、実務上の意義は小さくありません。
分割協議の不成立を主張する側
過去に証明書を作成したものの、改めて遺産分割を求める立場では、証明書が作成された経緯を具体的に明らかにすることが出発点になります。本件のように、土地改良事業の換地処分や相続登記の便宜という、分割協議とは別の目的のために集められたものであったことを示すのが有効です。そのうえで、共同相続人間で実際に分割の中身について話し合いがなされた事実がないこと、当事者がそろって協議の存在を否定していることを丁寧に主張していくことになります。
分割協議の成立を主張する側
逆に、登記名義を有していて協議の成立を主張する立場では、証明書の作成という外形だけでは足りないことを前提に、実際に協議がなされた実体的な事情を立証する必要があります。証明書を集めた前後に、誰が何を取得するかという分割の内容について共同相続人間で具体的な話し合いや合意があったこと、その合意を裏付ける同時代の証拠(やり取りの記録、関係者の認識など)を確保しておくことが求められます。
立証上のポイント
本件で結論を分けたのは、「相続分なきことの証明書」がどのような目的で作成されたのか、という点でした。登記手続上の便宜のために集められたものなのか、それとも実際の分割合意を反映したものなのか。この点が、証明書の評価を大きく左右します。
そして、本件で決め手になったのは、登記名義を得たY自身が協議の存在を否定していたという事情です。証明書を作成した当事者や登記名義人が、当時どのような認識でいたのかを示す陳述・証言は、協議の成否を判断するうえで重い意味を持ちます。証明書という書面が存在するという外形だけでなく、その背後に実際の協議があったといえるかを示す事情を押さえることが、立証の中心になります。
併せて検討すべき周辺論点
第1に、証明書に基づいて経由された相続登記の効力との関係です。本決定はあくまで遺産分割協議の成否を判断したものであり、登記については別途検討が必要です。協議が成立していないとして遺産分割を進める場合に、既存の登記をどう処理するかは、改めて整理すべき問題になります。
第2に、数次相続が絡む場合の当事者の確定です。本件のように、相続開始から長期間が経過し、相続人が次々と亡くなっている場合には、遺産分割の当事者が誰になるのかが複雑になります。誰を手続に関与させるべきかを正確に把握することが、手続を進めるうえでの前提になります。
第3に、遺産の範囲の確定です。本件でも、特定の土地がそもそも被相続人の遺産に属するのかが問題となり、差戻し後の検討事項とされました。遺産の範囲に争いがある場合には、遺産分割の前提として、その範囲を確定する手続が別途必要になることがあります。

