【判例解説】遺留分のない相続人に連絡せずに相続不動産を売却した遺言執行者の責任を認めた事例(東京地裁平成19年12月3日判決)
- 争点
遺留分(最低限の取り分)を持たない相続人に対して、遺言執行者は連絡や報告をする必要がないのか? - 結論
裁判所は、不動産処分前の通知や、財産目録の交付義務があると判断した。 - ポイント
「全財産を第三者に遺贈する」場合でも、相続人への速やかな通知と誠実な対応が不可欠である。
事案の概要
この事件は、亡くなった女性(被相続人)の遺産を巡って、何も知らされていなかった相続人たちが、遺言執行者らを訴えたケースです。

主な登場人物とその関係
- 被相続人(亡くなった方): Aさん
- 相続人(訴えた人):Aさんの弟、および亡き兄の子供たち(甥・姪)の計3名。
※兄弟姉妹や甥姪には、法律上、「遺留分(最低限保障される遺産の取り分)」がありません。 - 遺言執行者(訴えられた人): 知人の個人2名と、補助者として業務を行った信託銀行 。
トラブルの経緯
Aさんは公正証書遺言で、「不動産を含む全財産を換価(現金化)し、経費を引いた残金をすべて宗教法人に寄付する(清算型包括遺贈)」と書き残して亡くなりました。
相続人である弟たちは、この遺言の存在を知らされていませんでした。ある日突然、地元の不動産業者から「Aさんの自宅建物が取り壊されている」と連絡を受け、初めて事態を知ることになります。
驚いて調査したところ、知らない間に自分たち(相続人)の名義へ相続登記がなされ、即座に建設会社へ売却されていました。その後、都税事務所から相続人のもとへ固定資産税の納税通知書が届くなどし、相続人たちは「誰かが実印を偽造したのではないか」と強い不安と混乱に陥りました。
遺言執行者側は、「あなたたちには遺留分がない(遺産をもらう権利がない)のだから、通知する必要はない」という態度をとったため、相続人たちは精神的苦痛を受けたとして損害賠償を求めました。
主な争点
裁判では、主に以下の点が争われました。
遺留分のない相続人へも、財産目録を渡す義務はあるか?
遺言執行者は「遺留分のない相続人は権利を持たないので、財産目録を交付しなくても損害は発生しない」と主張しました。これに対し、相続人側は「目録交付は法律上の義務である」と主張しました。
不動産を売却する際、事前の通知は必要か?
民法には「不動産を売却する前に相続人へ通知せよ」という直接的な条文はありません。
遺言執行者は「登記手続上、相続人の関与は不要とされているから、事前の通知義務はない」と主張しました。
裁判所の判断
東京地方裁判所は、相続人たちの主張を認め、遺言執行者ら(信託銀行含む)に対し、共同不法行為として1人あたり25万円(合計75万円)の損害賠償支払いを命じました。
相続人への配慮と説明義務について
裁判所は、たとえ遺留分がない相続人であっても、遺言執行者には以下の義務があると判断しました。
- 財産目録の交付義務
遺留分の有無にかかわらず、相続人には遺言の内容や遺産の状況を確認する正当な利益があるため、遅滞なく目録を交付しなければならない。 - 事前の通知義務
不動産を売却する前には、トラブル防止のために相続人へ通知すべきである。
通知が必要な「常識的な理由」
裁判所は、法律の条文だけでなく、以下のような現実的なリスクを指摘して、通知の必要性を説きました。
- 二重売買の危険
相続人が遺言を知らなければ、「自分が相続した」と勘違いして、勝手に不動産を売却してしまう恐れがあり、取引の安全が害される。 - 相続人の不安
遺言執行の過程で一時的に相続人名義の登記がなされるため、何も知らない相続人に税金の通知が届いたり、勝手に登記されたりすることで、「印鑑が盗用されたのでは?」といった無用な混乱や不安を与える。
信託銀行の責任
遺言執行者の補助者であった信託銀行についても、「実質的に主導的な立場で手続きを行っていた」として、遺言執行者本人と同様に、相続人の権利を侵害しないよう配慮する注意義務があったと認定しました。
弁護士の視点
この判例は、相続手続きにおいて「法律上の権利(遺産の取り分)があるかどうか」と、「手続き上の配慮が必要かどうか」は別問題であることを明確にしています。
もしあなたが遺言を残す側、あるいは遺言執行者になる可能性がある場合、以下の点に注意が必要です。
「遺産を渡さない」相続人ほど、丁寧な連絡を
特定の相続人に財産を渡さない、あるいは全財産を寄付するといった遺言の場合、何も知らされない相続人は疎外感や不信感を抱きやすくなります。法的義務として、就任通知や財産目録の交付を「遅滞なく」行うことが、結果として紛争予防になります。
不動産処分は特に慎重に
不動産の売却手続き(換価)では、登記のシステム上、一時的に相続人の名義を経由することがあります。これにより税金の通知が相続人に届くことがあるため、事前の説明がないと「身に覚えのない税金が来た」とパニックを引き起こします。「いつ、どのような手続きを行い、一時的にどのような通知が届く可能性があるか」を事前に書面で伝えておくことが重要です。
専門家(信託銀行や弁護士)任せでも責任は消えない
本件では、プロである信託銀行がついていながら、このような不手際が起きました。専門家に依頼している場合でも、「相続人への連絡は済んでいるか?」と確認する姿勢が大切です。

