代償分割で受け取る代償金は、不動産の時価(実勢価格)を基準に計算するのが原則です。路線価や固定資産税評価額は税額を計算するための価格で、時価より2〜3割低いのが通常のため、提示額をそのまま受け入れると受け取る額が減ってしまいます。合意する前に、複数社の査定で時価を裏づけること。あわせて「いつの時点の価格か」「相手に支払う資力があるか」も確かめてください。
相談に来られたのは、二人きょうだいの妹にあたる方でした。実家を継ぐお兄様から遺産分割協議書とともに届いたのは、「代償金として1200万円(固定資産税評価額の2分の1)を支払う」という提案。相場より安い気がするものの、「役所が決めた公的な価格なんだから文句ないだろう」と言われると、反論の糸口がつかめない――そういうご相談でした。
この直感は、多くの場合当たっています。公的な価格を基準にした代償金の提案は、受け取る側にとってほぼ確実に不利だからです。
代償金は「どの価格」で「いつの時点」で計算するか
代償分割は、不動産を特定の相続人が取得し、他の相続人に代償金を支払って清算する分け方です。ここで争いになるのは、ほとんどの場合ただ一つ、「その不動産をいくらで評価するか」です。
不動産のほかにめぼしい遺産がない単純な例なら、受け取れる代償金の目安は「不動産の時価 × 自分の法定相続分」。基準は時価、つまり実際に売りに出したときに成立する価格です。固定資産税評価額でも路線価でもありません。
にもかかわらず、取得する側は、しばしば公的な価格を持ち出します。理由は単純で、そのほうが安く済むからです。
| 価格の種類 | 水準の目安 | 本来の用途 |
|---|---|---|
| 固定資産税評価額 | 公示価格の7割程度 | 固定資産税の計算 |
| 相続税路線価 | 公示価格の8割程度 | 相続税・贈与税の計算 |
| 時価(実勢価格) | 市場で実際に売れる価格 | 遺産分割の基準 |
表の右の列を見てください。公的な価格は、どれも税金を計算するためのものです。時価3000万円の土地を法定相続分2分の1で清算する場合、時価基準なら1500万円、路線価基準(約2400万円)なら1200万円。物差しを変えるだけで、300万円の差が生まれます。角地や整形地、南向き道路に面した土地のような増価要因があると、公的な価格と時価の開きはもっと大きくなることもあります。
見落とされやすい争点が、もう一つあります。「いつの時点の価格か」です。遺産分割では、相続開始時ではなく分割時(現在)の時価を基準にするのが実務の扱いです。地価が上がっている局面で、数年前の相続開始時の査定額や古い評価証明書を持ち出されたら、それだけで不利な計算になっています。
時価の裏づけになる資料を先にそろえる
反論の説得力は、口頭の主張ではなく手元の資料で決まります。話し合いを始める前に、次の順でそろえてください。
- 複数社の無料査定書を取る
不動産仲介会社3社以上(大手を含む)に査定を依頼します。1社だけだと「高く売れると言って営業しているだけ」と切り返されますが、複数社の査定額がそろえば、時価の幅を示す客観的な資料になります。 - 周辺の取引事例を確認する
国土交通省が公開している不動産の取引価格情報で、近隣の成約水準を押さえておくと、査定額の妥当性を自分の言葉で説明できます。 - 公的な価格も自分で取り寄せる
固定資産税評価証明書と路線価は、相手の計算の検算に使えますし、「どんなに低く見ても、この額は下回らない」という下限の目安にもなります。
実務では、この準備をせずに話し合いへ臨み、相手の示す一つの数字を軸に進んでしまうケースをよく見ます。先に複数の数字を並べた側が、話し合いの基準を先に示せます。
相手から出やすい反論とその受け止め方
時価ベースの計算を示すと、取得する側からは典型的な反論が返ってきます。あらかじめ想定しておくと、動じずに済みます。
反論1:「公的な価格なんだから公平だ」
いちばん多い言い分ですが、固定資産税評価額も路線価も税金の計算のための価格で、遺産の分け方の基準として作られたものではありません。調停や審判で評価が争いになったときも、基準になるのは時価です。「公的」であることと「分割の基準になる」ことは別だと、落ち着いて切り分けてください。
反論2:「査定書は売る前提の営業価格で、高すぎる」
一理ある指摘なので、複数社の平均や成約事例で補強します。それでも折り合わなければ、不動産鑑定士の鑑定評価という次の手があります。
反論3:「そんな大金は払えない」
ここは評価の問題ではなく、分け方そのものの分かれ道です。代償分割は、取得する側に代償金を現実に支払える資力があることが前提で、審判で代償分割が命じられるのも特別の事情がある場合に限られます(家事事件手続法195条)。相手が払えないなら、答えは「評価額を下げて妥協する」ではなく、「不動産を売って代金を分ける換価分割に切り替える」です。支払能力の不足を理由に評価額の減額を迫られたら、この分かれ道を思い出してください。
交渉から調停・審判までの進め方
大きく分けると、次の4段階で進めます。
- 相場観をつかむ
公的な価格と複数社の査定を並べ、時価の幅を把握する。 - 時価ベースの計算を文書で示す
査定書を添えて、「実勢価格を基準にするのが筋ではないか」と提案する。客観的な数字を前にすると、相手も路線価ベースの主張を引っ込めることが多いです。 - 折り合わなければ遺産分割調停へ
評価が最大の争点なら、調停の中で不動産鑑定を検討します。鑑定評価は不動産鑑定士による算定で、裁判所の手続でも基礎とされる、いちばん強い時価の証明です。費用は数十万円単位になることが多いものの、増額幅が費用を上回る見込みなら、検討する価値は十分あります。 - 審判では鑑定評価と支払能力の両方が見られる
評価額だけでなく、取得を望む相続人が代償金を支払えるかも判断されます。払えなければ代償分割は成立せず、換価の方向に進みます。
| 状況 | 進め方 |
|---|---|
| 相手が時価ベースに応じる | 査定額の幅の中で金額を協議し、支払条件まで協議書に明記する |
| 評価額で折り合わない | 調停へ。鑑定評価の実施を検討する |
| 相手に支払う資力がない | 評価額の妥協ではなく、換価分割への切り替えを検討する |
やってはいけないこと・よくある失敗
根拠を確かめずに遺産分割協議書にサインする
遺産分割協議は、いったん成立するとやり直しが原則できません。「評価証明書の額で計算した」と言われたら、それは下限に近い価格だと考えて、遺産分割協議書にサインする前に時価を確かめてください。
評価額だけ見て、支払条件を詰めない
金額で合意できても、「いつまでに」「一括か分割か」「払われなかったらどうするか」を遺産分割協議書に書いていないと、後日の不払いで二度目の紛争になります。代償金の額そのものより、支払いの遅れや不払いのほうが尾を引く例もあります。分割払いに応じるなら、期限の利益喪失条項や担保の要否まで詰めておくと安心です。
相続税の申告期限が迫っており、焦って合意する
相続税の申告期限を理由に急かされる場面がありますが、未分割のまま申告し、後から更正の請求で修正することもできます。申告期限が迫っていることだけを理由に、数百万円単位の金額を諦める必要はありません。

