遺産分割前にお金が必要なとき、どの制度を使う?預貯金の仮払い・一部分割・仮分割仮処分の使い分け
親族が亡くなり、金融機関がその事実を知ると、口座は即座に凍結されます。
しかし、残された遺族には「葬儀費用」「当面の生活費」「相続税の納税資金」など、待ったなしの支払いが迫ることが多々あります。
「遺産分割協議がまとまるまで、何ヶ月も待てない」
「とりあえず、銀行のお金だけでも先に動かしたい」
こうした事態に対応するため、現在の法律では、状況に合わせて使い分けられる3つの資金確保ルートが用意されています。
- 預貯金の仮払い制度(銀行窓口・単独で可能)
- 遺産の一部分割(全員の合意が必要)
- 仮分割の仮処分(家庭裁判所の判断)
これらは「どれが一番優れている」というものではなく、「必要な金額」「急ぎ具合」「相続人同士の関係性(争いの有無)」によって使い分けるべき別々のツールです。
この記事では、これら3つの制度の違い、利用条件、そして実務上のメリット・デメリットを解説します。
- 「預貯金の仮払い制度」は、上限(約150万円/行)があるが、他の相続人の同意なしに単独で・素早く引き出せるため、当座の資金確保に最適。
- 「遺産の一部分割」は、全員の合意があれば金額無制限で解約できるが、一人でも反対すれば利用できず、後の遺産分割交渉のカードを失うリスクがある。
- 「仮分割の仮処分」は、遺産分割調停中(本案係属中)に生活費などが必要な場合、裁判所の決定により預金の一部を取得できる制度である。
3つの制度の全体像と決定的な違い
まず、3つの制度の全体像を把握しましょう。
選ぶ基準は、「単独で動けるか?」「いくら必要か?」「争いがあるか?」です。
| 特徴 | ① 預貯金の仮払い制度 | ② 遺産の一部分割 | ③ 仮分割の仮処分 |
| 根拠条文 | 民法第909条の2 | 民法第907条 | 家事事件手続法第200条第3項 |
| 手続き場所 | 金融機関の窓口 | 金融機関の窓口 | 家庭裁判所 |
| 他の相続人の同意 | 不要(単独で可) | 必要(全員の実印) | 不要(対立していても可) |
| 引き出し上限額 | 150万円(1金融機関につき) | なし(全額可) | 法定相続分の範囲内(原則)※ |
| スピード | 早い(書類提出後1〜2週間) | 早い(書類提出後1〜2週間) | 遅い(1か月〜数か月) |
| 利用シーン | 葬儀費、当面の生活費 | 納税資金、円満な分配 | 遺産争い中の生活費確保 |
※③の上限:他の共同相続人の利益を害しない範囲に限られます。
2. 各制度の詳細解説と判断基準
それぞれの制度について、具体的な計算式や法的要件を深掘りします。
① 預貯金の仮払い制度(窓口・単独)
平成30年の民法改正で新設された制度です(「民法909条の2に基づく遺産分割前の相続預金の払戻し制度」)。家庭裁判所の手続きを経ることなく、各金融機関の窓口で、一定額まで単独で払い戻しを受けられます。
【引き出せる金額の計算式】
以下のAとBのうち、低い方の金額が上限となります。
A. 相続開始時の預貯金残高 × 1/3 × 本人の法定相続分
B. 150万円(法務省令で定める標準額)
<ポイント>
この制度は「とりあえずの資金」を確保するためのものです。他の相続人が非協力的であっても、戸籍謄本などの書類さえ揃えれば単独で実行可能です。
② 遺産の一部分割(協議・全員合意)
遺産全体の分割が決まる前に、全員の合意で特定の預貯金を解約して分ける方法です。
法改正により、遺産分割協議が完了していなくても、相続人全員の同意があればいつでも預貯金を分けられることが明確化されました。
<ポイント>
相続税の納税資金や、借金の返済などで数百万〜数千万円単位の資金が必要な場合に適しています。ただし、一人でもハンコを押さない(同意しない)相続人がいると利用できません。
③ 仮分割の仮処分(家裁・争族時)
遺産分割調停などで争っている最中に、家庭裁判所の決定によって預貯金の一部を取得できる制度です。
以前は「急迫の危険(明日の生活にも困る等)」が必要でしたが、法改正により要件が整理され、利用しやすくなりました。
【認められるための3つの要件】
利用には、以下のすべてを満たす必要があります。
- 本案(遺産分割審判または調停)が係属していること
- いきなり「仮払い」だけを申し立てることはできません。前提として家庭裁判所に「遺産分割調停」などを申し立てている必要があります。
- 権利行使の必要性があること
- 「生活費の支弁」「相続債務(借金)の弁済」などの具体的な理由が必要です。
- ※以前のような厳格な緊急性は不要ですが、単に「早く欲しい」だけでは認められません。
- 他の共同相続人の利益を害しないこと
- 仮払いを受ける金額が、本人が最終的に受け取るであろう取り分(法定相続分)を超えていないか等が審査されます。
あなたはどれを使う? 状況別フローチャート
ご自身の状況に合わせて、以下の順序で検討するのが効率的です。
ケースA:とにかく急ぎで、少額〜中額が必要
→ 「① 預貯金の仮払い制度」
他の相続人に連絡がつかない場合や、とりあえず葬儀費用を立て替えたい場合に最適です。
複数の金融機関に口座がある場合、それぞれの銀行で手続きを行えば、「A銀行で150万円+B銀行で150万円」といった形でまとまった額を用意することも可能です。
ケースB:金額が大きく、相続人全員が協力的
→ 「② 遺産の一部分割」
相続人全員で銀行所定の書類に署名・捺印をすれば、上限なく解約・払い戻しが可能です。
円満な相続であれば、手間のかかる①を各銀行で行うよりも、②で一括解約して代表者が受け取り、分配する方がスムーズなケースも多いです。
ケースC:遺産争い中で、生活費に困っている
→ 「③ 仮分割の仮処分」
話し合いが決裂し、長期戦が予想される場合に限り、家庭裁判所へ申し立てます。
弁護士費用や作成書類の手間もかかるため、「どうしても生活費が足りず、調停が終わるまで待てない」という場合の手段となります。
実務家が教える「落とし穴」と注意点
制度を利用する前に、必ず以下のリスクを確認してください。
① 「150万円の壁」の正しい理解
「預貯金の仮払い制度」の上限150万円は、「1つの金融機関につき」です。
- よくある誤解: 「支店を変えれば、また150万円おろせる」
- 現実: 同じ銀行内の全口座を合算して計算します。A銀行全体で150万円が上限です。
これはゆうちょ銀行に限った話ではなく、すべての銀行・信用金庫に共通するルールです。「支店ごとに150万円」ではない点に注意してください。
② 単純承認(相続放棄ができなくなる)リスク
これが最大のリスクです。どの制度を使っても、故人の預金を引き出して自分のために使う時点で、原則として、民法上の「単純承認(民法921条)」が成立します。
後から故人に多額の借金が見つかっても、相続放棄はできなくなる可能性があります。
「葬儀費用」への充当は例外的に認められる判例もありますが、グレーゾーンです。借金の全容が分からない段階での引き出しは慎重に行うべきです。
③ 一部分割による「交渉カード」の喪失
「現金(預金)」は、遺産分割協議において調整役となる重要な財産です。
例えば、「長男が実家の不動産を継ぐ代わりに、次男は預金を多くもらう」といった調整です。
もし先に「一部分割」で預金を全額分けてしまうと、残る財産は「分けにくい不動産」だけになります。結果として、不動産の評価額や取得者を巡って争いが激化し、解決が遠のくケースが多々あります。
まとめ
すぐにお金が必要な場合、ご自身の状況に合わせて以下の3つから選択してください。
| 制度名 | 向いている人 | キーワード |
| ① 預貯金の仮払い制度 | とりあえず急ぎたい人 | 単独・150万円まで・窓口手続 |
| ② 遺産の一部分割 | 全員仲が良く、多額が必要な人 | 全員同意・金額無制限・窓口手続 |
| ③ 仮分割の仮処分 | 争族中で、生活に困っている人 | 家裁の決定・本案係属要・必要性審査 |
いずれの制度も、引き出したお金の使い道は明確にし、領収書を必ず保管してください。それが将来の親族間トラブルや税務調査から身を守ることにつながります。

