【判例解説】遺産分割協議書は通謀虚偽表示や錯誤により無効との主張を否定した事例(東京地裁平成28年10月19日判決)
30秒で要点
結論:百日法要後の親族会で作成・署名押印した遺産分割協議書は有効とされ、原告の無効確認等の請求は棄却。
理由:本件の遺産分割協議書は、「遺産分割協議書」と明示し、日本の預貯金と土地持分等を配偶者が相続する内容。実印・印鑑証明持参のうえ全員が署名押印しており、「一時的な名義変更」との主張は採用されなかった。
注意点:協議書の無効・取消しは容易ではない。錯誤主張には過失の有無や取消意思の表示の明確性が問われる。
まず結論
本判決(東京地裁平成28年10月19日判決)は、百日法要後に作成・署名押印された遺産分割協議書の有効性を是認し、通謀虚偽表示(示し合わせた架空の合意)や錯誤(思い違い)による無効・取消しを否定しました。
事案の概要
百日法要後の親族会で「日本の遺産は妻に相続させる」とする遺産分割協議書に全員が実印で署名押印し、後に三男が無効(通謀虚偽表示・錯誤)を主張した事件です。
被相続人の相続人は配偶者と6名の子。平成24年9月23日、弁護士・税理士が同席した親族会で、国内預貯金と本件土地の被相続人持分2分の1などを配偶者が相続する内容の遺産分割協議書に全員が署名押印しました。配偶者は同年12月に土地持分の相続登記を行い、その後二男へ移転登記。預貯金等は合計2億7159万2989円が配偶者に帰属しました。これに対し、三男が、遺産分割協議書は一時の名義変更のための書面にすぎない・錯誤があったなどとして、無効確認、持分1/14の回復登記、さらに不当利得として3879万8998円+年5%の遅延損害金を求めました。
争点の整理
遺産分割協議書は「通謀虚偽表示」か、「錯誤」による取消しができるか、そしてどの法律(準拠法)が適用されるかです。
- 争点1:通謀虚偽表示(示し合わせた架空の合意だったか)
- 争点2:錯誤(重要な思い違いがあり、かつ過失がなかったか)
- 争点3:準拠法(どの国の民法で効力を判断するか:通則法36条等)
裁判所の判断
いずれの主張も認めず、遺産分割協議書は有効、取消しも否定。理由は、「書面の明確性」「手続の厳格さ」「被相続人の意思との整合」「取消意思の表示の欠缺(ないこと)」。
通謀虚偽表示については、協議書の表題・文言が「日本国内の預貯金と土地持分等を配偶者が相続する」と明快で、相続人は実印・印鑑証明書3通を持参し自署押印しており、会合前に弁護士・税理士の説明や被相続人の「妻に処分を任せる」旨の遺嘱の読み上げもあったことから、「一時的な名義変更のための書類」との弁解は採用できないとしました。
錯誤についても、書面と状況から「法要費支払いのためにやむなく署名した」という理解は成り立たず、仮に誤信があったとしても、相続人側に過失があると指摘。さらに、税理士宛の照会文や親族への通知は、協議を取り消す明確な意思表示には当たらないとし、取消主張を退けました。
実務への影響・チェックリスト
署名押印済みの遺産分割協議書は、作成経緯と文言が明確であれば、覆すのが難しいです。
- チェック1:協議書の表題・文言は「誰に何を相続させるか」が具体的か。
- チェック2:実印・印鑑証明・自署の有無、専門家同席など手続の厳格さ。
- チェック3:「一時的」等の口頭説明は記録(議事メモ・録音・メール)で裏付けられるか。
- チェック4:取消しは速やかかつ明確に当事者へ(通知先・内容に注意)。
似た場面での分岐点
A(費用の支払いだけが目的)なら委任・仮払いで処理、B(相続の最終合意)なら遺産分割協議書を作成—線引きと記録が重要です。
- A(当面の費用の支払が目的)なら → 委任状・管理契約・仮払い合意書で足りる旨を明記し、分割協議書は作らない。
- B(相続の帰属を最終確定)なら → 分割対象・持分・登記・金融機関手続まで具体化し、説明資料なり議事録なりを残す。
判例比較表
項目 | 本件 | 比較(日本法の一般理論) | 実務メモ |
---|---|---|---|
要件 | 通謀虚偽表示・錯誤いずれも不成立(書面明確・手続厳格・被相続人意思と整合)。 | 民法94条(通謀虚偽表示)・95条(錯誤)も、明確な書面と経緯があれば無効・取消しは限定的。 | 「一時的」との主張は記録・証拠の厚みが不可欠。 |
帰結 | 請求棄却、協議書有効。 | 一般に、取消しは迅速・明確な通知が必要。 | 取消通知の相手・文言・日付を厳密管理。 |
補足 | 準拠法は被相続人本国法(通則法36条等)。 | 国際相続では準拠法確認が先決。 | 戸籍・国籍・住所歴を初動で確認。 |