代償分割は支払能力のない相続人には命じられない──支払能力の確定を要件とした事例|最決平成12年9月7日
代償分割(共同相続人の一人または数人に金銭債務を負担させて現物分割に代える分割方法)は、旧家事審判規則109条(現家事事件手続法195条)にいう「特別の事由」がある場合に認められますが、本決定は、特別の事由が認められる場合であってもなお、債務を負担する相続人に支払能力があることを要すると判示しました。原審が一方の相続人に1億8822万円もの代償金支払いを命じたにもかかわらず、その支払能力について何ら判断を示していなかったため、旧家事審判規則109条の解釈適用を誤った違法があるとして破棄差戻しとしたものです。代償分割を運用する際の歯止めを示した重要判例です。
判例情報
- 裁判所:最高裁判所第一小法廷
- 判決日:平成12年9月7日
- 事件番号:平成12年(許)第13号
- 関連条文:民法904条の2、907条/旧家事審判規則109条(現家事事件手続法195条)
事案の概要
本件は、遺産分割審判の抗告審が、共同相続人の一人に1億8822万円もの代償金支払いを命じる代償分割の方法を採用したものの、その相続人の支払能力を確定していなかった事案です。
登場人物
- A(被相続人):本件遺産分割の対象財産を残して死亡。
- B(Aの妻):Aの相続開始時の相続人。後に死亡し、全財産をX2に包括遺贈。
- X1(Aの三女):原決定で全遺産の2分の1を取得し、他の共同相続人らに代償金を支払うこととされた者。
- X2(X1の夫):Bからの包括遺贈によりBの相続権を承継。原決定で全遺産の2分の1を取得。
- Y1(Aの長男の妻)・Y2(Aの長男の子):Aの長男(既に死亡)の代襲相続人。原決定で代償金の支払いを受ける側。本件抗告人。
- Y3・Y4・Y5(Aの長女の子ら):Aの長女(既に死亡)の子で、長女の相続権を承継。原決定で代償金の支払いを受ける側。
時系列
- 昭和28年5月23日:A死亡(相続開始)
- 昭和50年8月:Aの長男死亡(Y1・Y2が代襲相続)
- 昭和60年9月:Aの二女死亡(母Bが相続権承継)
- 昭和60年12月:B死亡(全財産をX2に包括遺贈)
- 昭和62年:遺産分割審判申立て
- 平成4年11月27日:神戸家庭裁判所が原審判(各遺産を分散して取得させ、不足分を代償金で調整する内容)
- 平成7年12月:Aの長女死亡(Y3・Y4・Y5が相続権承継)
- 平成12年1月25日:大阪高等裁判所が原審判を変更し、全遺産をX1・X2に共有取得させ、X1から他の共同相続人らに合計1億8822万円の代償金支払いを命令(原決定)
- 平成12年9月7日:最高裁が本決定により、原決定中Aの遺産分割に係る部分を破棄差戻し
経緯
本件は、被相続人Aの遺産分割を巡って長期にわたって争われた事案です。原審の神戸家庭裁判所では、各遺産を相続人・受遺者らに分散して取得させ、不足分を比較的小額の代償金で調整する内容の審判がなされました。
これに対し抗告審の大阪高等裁判所は、原審判を変更し、全遺産(評価額合計約5億6466万円)をX1とX2の二人に共有取得(持分各2分の1)させ、その代わりにX1から他の共同相続人らに合計1億8822万円もの代償金を支払わせる内容の決定をしました。Aの遺産には一団の宅地と非上場会社の株式が含まれており、現物分割によって遺産の経済的価値や会社経営の安定性が損なわれることへの考慮が背景にあったと推認されます。
しかし、原決定はX1の支払能力について何ら判断を示していませんでした。Y1・Y2らは、X1に1億8822万円もの代償金を支払う資力があることが確定されていないこと、また、共有物分割における全面的価格賠償について支払能力の確定を要件とした最高裁判例(最判平成8年10月31日)に反することなどを理由に、最高裁に許可抗告しました。
なお、本決定では、Aの遺産分割の当事者ではない者(Bの養子)の抗告を不適法として却下する付随的判断もなされていますが、本記事の中心論点とは別の処理であるため詳述は割愛します。
争点
代償分割によって金銭債務を負担させるためには、当該相続人の支払能力があることを要するか
──家事審判規則109条にいう「特別の事由」がある場合として代償分割を採用する場合、債務を負担させる相続人に支払能力があることを必要とするか。
抗告人(Y側)の主張:代償分割で共同相続人の一人または数人に金銭債務を負担させるには、当該相続人に支払能力があることが必要である。X1には1億8822万円もの代償金を支払う資力があることが確定されていない。共有物分割における全面的価格賠償について、賠償金支払能力の確定を要件とした最判平成8年10月31日との関係でも、原決定は最高裁判例に反する。
相手方(X側)の主張:原決定の維持を求める立場である(具体的反論内容は判決文に明示されていない)。
裁判所の判断
判旨の要約
- 結論:家事審判規則109条による代償分割で、共同相続人の一人または数人に金銭債務を負担させるためには、当該相続人に支払能力があることを要する。
- 理由:代償分割は、現物分割に代えて代償金の支払によって相続分の調整を図る方法であるところ、債務を負担させられる相続人に支払能力がなければ、その前提が成り立たないから(判決文中に直接の理由付けはなく、結論のみが示されているが、論旨はこのように整理できる)。
判決文の引用
最高裁は、次のように判示しました。
家庭裁判所は、特別の事由があると認めるときは、遺産の分割の方法として、共同相続人の一人又は数人に他の共同相続人に対し債務を負担させて、現物をもってする分割に代えることができるが(家事審判規則109条)、右の特別の事由がある場合であるとして共同相続人の一人又は数人に金銭債務を負担させるためには、当該相続人にその支払能力があることを要すると解すべきである。
そのうえで、本件への当てはめとして、次のように述べています。
これを本件についてみると、原審は、抗告人相沢順子に対し、原決定確定の日から6箇月以内に、相手方らに総額1億8822万円を支払うことを命じているところ、原決定中に同抗告人が右金銭の支払能力がある旨の説示はなく、本件記録を精査しても、右支払能力があることを認めるに足りる事情はうかがわれない。
判例の考え方
本決定の論理は、次の二段階で整理できます。
第1に、代償分割の「特別の事由」要件と「支払能力」要件の二段階構成。家事審判規則109条は、代償分割を採用できる場合を「特別の事由」がある場合に限定しています。本決定は、これに加えて、特別の事由が認められる場合であってもなお、債務を負担する相続人に支払能力があることが必要であるとしました。「特別の事由」要件と「支払能力」要件は別個の要件であり、両者が満たされて初めて代償分割が許される、という二段階の要件構成を最高裁が明示したことになります。
第2に、支払能力の確定が裁判所の責務であること。本決定は、原決定について「原決定中に同抗告人が右金銭の支払能力がある旨の説示はなく、本件記録を精査しても、右支払能力があることを認めるに足りる事情はうかがわれない」と述べています。これは、代償分割を採用する裁判所の側に、債務を負担させる相続人の支払能力を積極的に確定する責務があることを示しています。当事者から支払能力を否定する具体的な抗弁が出ていなくても、裁判所は職権で支払能力を確認する必要があるという理解が、判決文の表現から導かれます。
結論に至る処理
最高裁は、原決定がX1に1億8822万円の代償金支払いを命じているにもかかわらず、X1の支払能力について何ら説示しておらず、本件記録上も支払能力を認めるに足りる事情がうかがわれないことを理由に、家事審判規則109条の解釈適用を誤った違法があり、その違法は裁判に影響を及ぼすことが明らかであるとしました。そのうえで「その余の点について判断するまでもなく」原決定中、Aの遺産分割に係る部分を破棄し、支払能力の有無について更に審理を尽くさせるため、原審に差し戻しています。
なお、本決定が「その余の点について判断するまでもなく」と述べていることから、抗告人らが争っていた「特別の事由」の解釈の点について、最高裁は判断していないことに注意が必要です。
判例の射程
本判例の射程について、判決文の表現に即して整理します。
「金銭債務」を負担させる場合に限った判示
最高裁は、「金銭債務を負担させるためには」と限定した表現を用いています。代償分割の中でも、金銭以外の資産(他の不動産、株式等)の引渡しによる代償については、本決定の判旨が直接及ぶかどうかは判決文の表現上は明らかではありません。もっとも、代償の目的物が何であれ、「代償として給付する財産・能力を有していること」が代償分割の前提となるという論理は共通するため、実務上は金銭以外の代償についても支払能力(給付能力)の確定が必要と解されています。
「特別の事由」の解釈には判断していない
抗告人らは、原決定について「特別の事由」の解釈に関する違法も主張していました。しかし、最高裁は支払能力の点だけで原決定を破棄したうえで、「その余の点について判断するまでもなく」と明示し、「特別の事由」の解釈の点については判断していません。したがって、本判決の射程は支払能力の要件に限定されており、「特別の事由」の解釈論については本判決から独立した結論を導くことはできません。
「支払能力」の意味の射程
本決定は、支払能力を認めるための具体的な判断要素や立証方法について踏み込んだ判示はしていません。判決文の表現は「支払能力があること」を要するとするのみで、その内容の詳細は留保されています。原決定では、X1の夫であるX2が抗告審手続中に他の相続人らに6000万円を支払う調停案がまとまりかけたものの、結局その金額の調達ができなかったという経緯があり、これが支払能力の不存在をうかがわせる事情として記録上現れていました。本決定は、こうした個別事情に基づく判断ではなく、支払能力に関する説示そのものが原決定に欠けていたことを違法と判断しているため、射程は手続的な側面にも及びます。
共有物分割への射程外
本決定は、家事審判規則109条という遺産分割固有の規定の解釈として支払能力の要件を導いています。共有物分割における全面的価格賠償については、すでに最判平成8年10月31日が支払能力の確定を要件としており、本決定はその論理を遺産分割の代償分割にも及ぼした位置付けにあります。ただし、両判決は対象となる手続が異なるため、共有物分割と遺産分割を直接同列に論ずる射程は本決定からは導かれません。
実務での使い方
本判例は、遺産分割協議・調停・審判で代償分割が提案された場面において、代償金の支払能力が問題となる際の中心判例として引用されます。争族案件における典型的な使いどころを整理します。
使える場面
典型は、遺産の中心が不動産・非上場株式・事業用資産など現物分割が困難な財産で構成されており、特定の相続人(事業承継者・自宅居住者など)が遺産を取得することが当事者間で前提となっているものの、その相続人に他の相続人への代償金支払資力があるかが争点となる場面です。
代償分割は、争族実務の中でも頻出の分割方法であり、特に事業承継絡みの遺産分割や、自宅不動産の取得を巡る争いで多用されます。本判例は、この場面で代償分割を主張する側に「支払能力」という追加のハードルがあることを示す中心判例となります。
代償分割を主張する側(現物取得を希望する相続人)
特定の遺産の取得を希望し、代償分割によって他の相続人に代償金を支払うことを提案する側は、本判例を踏まえて、自らの支払能力を具体的かつ客観的な資料で示す必要があります。
第1に、代償金を支払う原資の確保です。預貯金、有価証券などの自己資金で賄えるのが最も明確ですが、現実には不動産担保ローンや事業承継資金の借入を組み合わせるケースが多くなります。借入によって賄う場合は、金融機関の融資内諾書や、借入見込みを示す具体的資料などを準備する必要があります。
第2に、取得する遺産を売却して代償金を支払うという立論には注意が必要です。本判例の射程からは直接導かれませんが、代償分割は本来「現物を取得した者がそれを保有しつつ代償金を支払う」ことを前提とする方法であり、取得後すぐに売却して代償金に充てる前提は、代償分割の趣旨と整合しません。譲渡所得計算上、代償金を取得費に算入できないため、取得した不動産を売却して代償金を支払うとなると、不動産取得者に税務上不利な負担を生じさせるという問題もあります。そのため、実務上は、保有を維持したまま代償金を支払える資力であることを示すのが通常です。
第3に、支払時期との関係です。代償分割における代償金の支払いは、審判では一括払いが原則とされており、分割払いは当事者の合意がない限り審判では命じられないと解されています。本件で原決定が「原決定確定の日から6箇月以内」と命じていたのも、この一括払いの原則に沿うものです。したがって、現物取得を希望する側は、審判確定後の比較的短期間内に代償金全額を支払える資金調達計画を示す必要があります。分割払いを希望する場合は、協議または調停の段階で当事者間の合意を成立させる方向で進めることになります。
代償分割に対抗する側(現物分割または換価分割を主張する側)
逆に、代償分割に反対し、現物分割や換価分割(遺産を売却して代金を分配する方法)を主張する側は、本判例を引用して、相手方の支払能力の不存在を積極的に主張・立証することができます。
第1に、相手方の資産状況・収入・信用力に関する開示要求です。家事事件手続法上の調査嘱託や文書送付嘱託、相手方への釈明要求等を通じて、預貯金、保有資産、収入、既存の借入状況などを把握します。
第2に、借入を前提とする支払計画の現実性の検討です。借入による支払を前提とする場合、その借入の実現可能性、担保提供の可否、返済可能性などを具体的に検討し、計画の不確実性を指摘します。本件では抗告審手続中に6000万円規模の調停案が金銭調達不能で成立しなかった経緯が記録上現れており、こうした過去の現実の動きが支払能力の不存在をうかがわせる事情として有力に機能した可能性があります。同様に、調停・審判の過程で相手方が示した支払案の実現可能性は、立証上の重要な手がかりになります。
第3に、支払能力に関する裁判所の職権判断を促すことです。本判例は、代償分割を採用する場合に裁判所が支払能力を確定する責務を負うことを前提とした判断と読めます。当事者として、裁判所に対し、相手方の支払能力に関する具体的な立証を求める姿勢を明確にしておくことが、最終的な審判内容にも影響します。
立証上のポイント
支払能力の立証で実務上問題となりやすいのは、借入による支払を前提とするケースです。この場合、金融機関の融資見込みは、最終的な融資実行までは確定しないことが多く、代償分割の審判時点で確実な支払能力があると評価できるかには微妙な判断を要します。
実務上は、(1)金融機関からの融資内諾書、(2)担保となる不動産の評価額と借入予定額の関係、(3)申立人の返済能力(収入・他の資産)を示す資料、を組み合わせて、借入実現の蓋然性を具体的に示すことが求められます。単に「借入で支払う予定です」という一般的な説明では、本判例の支払能力要件を満たすには不十分と解されます。
また、代償金の支払時期は比較的短い期間に設定されるのが一般的であるため(本件原決定では審判確定後6か月以内)、その期間内に確実に資金調達ができることを具体的に示す必要があります。期間延長によって支払能力の問題を回避することは、審判の場面では原則として期待できないため、設定される支払期限内に支払いを完了できる現実的な計画であることが、立証上の要点となります。
併せて検討すべき周辺論点
第1に、家事審判規則109条の現行法上の位置付けです。本決定が引用する家事審判規則109条は、家事事件手続法の施行(平成25年1月1日)に伴い廃止され、現在は家事事件手続法195条(債務を負担させる方法による遺産の分割)に承継されています。「特別の事由」を要件とすることや、共同相続人の一人または数人に他の共同相続人に対する債務を負担させて現物分割に代えることができるという内容は、ほぼそのまま現行法に引き継がれており、本決定の判旨(支払能力の確定が必要)も現行法下で引き続き妥当すると解されています。
第2に、代償分割が当事者の合意で採用される場合との関係です。本決定は、家事審判規則109条による「審判」での代償分割を念頭に判断しています。当事者間の合意(遺産分割協議・調停)で代償分割を採用する場合は、合意の効力それ自体は当事者の自由意思によるため、本決定の射程は直接及びません。もっとも、合意に基づく代償分割でも、代償金の支払が現実に履行されない事態は紛争の蒸し返しを招きやすいため、支払能力の確認と支払担保(連帯保証、不動産担保等)の確保は実務上重要です。
第3に、代償金不払いリスクへの備えです。仮に審判で代償分割が命じられたとしても、代償金が現実に支払われないリスクは残ります。審判の場面で実効的な手当てとなるのは、次の二つです。
一つは、審判書そのものが債務名義となることです。代償金の支払を命ずる審判は執行力のある債務名義と同一の効力を有するため(家事事件手続法75条)、代償金が支払われなければ、受領側は審判書に基づいて直ちに支払義務者の財産に対する強制執行手続をとることができます。別途訴訟を提起する必要がない点は、代償分割の不払いリスクに対する最も基本的な備えです。
もう一つは、本件原決定がそうしているように、代償金の支払と現物取得者への登記移転手続を引換給付とする主文構成です。これにより、代償金が支払われなければ登記移転も行われない関係となり、現物取得者が代償金を支払わずに遺産だけを取得する事態を防ぐ歯止めとなります。代償分割審判では、この引換給付の構成が標準的に採られています。
当事者間の合意(協議・調停)で代償分割を採用する場合は、執行認諾文言付公正証書化することで、合意内容に同様の執行力を持たせることができます。連帯保証や抵当権設定などの担保提供を合意することも考えられますが、こうした担保の手当ては当事者の合意を前提とするものであり、審判で家庭裁判所が当事者の意思に反して命ずることは想定されていない点に注意が必要です。

