慰謝料請求権は被害者の意思表示がなくても当然に相続の対象となると判断した事例(最高裁昭和42年11月1日判決)

この記事のポイント
  • 争点:被害者が「慰謝料を払え」と言い残さずに亡くなった場合、その権利は相続されるか?
  • 結論:裁判所は、生前の意思表示がなくても、慰謝料請求権は当然に相続されると判断した。
  • ポイント:不慮の事故などで亡くなった場合、目に見えない「損害賠償請求権」も遺産になることを確認しておく。
目次

事案の概要

この裁判は、交通事故で亡くなった被害者の遺族が、加害者の会社に対して損害賠償(慰謝料)を求めた際に、「亡くなった本人の無念(慰謝料請求権)」を相続できるかどうかが争われた事例です。

主な登場人物とその関係

  • 被相続人A:自転車に乗っていたところ、トラックにはねられ重傷を負い、死亡。
  • 原告X:Aの妹。相続人として、加害者に対して損害賠償を請求。
  • 被告Y:加害者の運送会社。加害トラックを所有。

トラブルの経緯

昭和36年8月、Aさんは、自転車で走行中にY社のトラックに衝突され、重傷を負いました。
Aさんは、入院して治療を受けましたが、事故から間もなく息を引き取りました。

問題となったのは、Aさんが亡くなるまでの間、「慰謝料を請求する」という具体的な意思を誰にも伝えていなかった(意思表示をしていなかった)という点です。

当時の古い裁判例(大審院時代)では、「慰謝料は精神的なものだから、本人が『請求する』とはっきり意思表示しない限り、権利として具体化せず、相続もされない」という考え方が主流でした。

そのため、Y社側は「Aさんは請求の意思を示さずに亡くなったのだから、慰謝料請求権は消滅しており、妹Xさんは相続できない」と主張し、裁判になりました。

主な争点

被害者が生前に「請求する」と言っていなかった場合、その権利は有効か?

この裁判で一番問題になったのは、「慰謝料請求権」の法的性質をどう捉えるかです。

  • 「請求の意思」が必要とする説(旧来の考え方)
    精神的な苦痛はその人だけの心の問題(一身専属)だから、本人が権利を行使する意思を外部に示して初めて「お金の権利」となり、相続できるようになる。黙って死んだら権利も消える。
  • 「請求の意思」は不要とする説(今回のXさんの主張)
    事故で怪我をした瞬間に損害は発生しているのだから、治療費などの財産的損害と同じように、慰謝料についても当然に権利が発生し、自動的に相続されるべきである。

裁判所の判断

最高裁判所(大法廷)は、これまでの判例を変更し、「被害者が請求の意思を表明していなくても、慰謝料請求権は当然に相続される」という判断を下しました。

判決文の要旨
「被害者が死亡したときは、その相続人は当然に慰謝料請求権を相続するものと解するのが相当である。……(中略)……その損害の賠償を請求する意思を表明するなど格別の行為をすることを必要とするものではない。」

慰謝料も単なる「金銭債権」である

裁判所は、不法行為(事故)によって精神的苦痛を受けた時点で、被害者は損害賠償を請求する権利を取得するとしました。

この権利は、被害を受けた「心」そのものではなく、そこから生じた「金銭による賠償」を目的とする権利(単純な金銭債権)にすぎません。そのため、治療費などの財産的な損害賠償と同じように、被害者の意思表示に関係なく、当然に相続の対象になると判断しました。

「言わなかったら権利なし」は常識的に不公平

なぜ裁判所がそのように考えたのか、そこには「公平性」への配慮がありました。
もし「請求すると言った場合だけ相続される」という古いルールを適用すると、次のような理不尽な結果になります。

  • 「痛い、金を払え」と言ってから死んだ人の遺族は相続できる。
  • 即死してしまい、何も言えなかった人の遺族は相続できない。

これでは、「被害が甚大で、被害者を即死させた加害者ほど、賠償金を払わなくて済む」という、常識的に考えてあまりにおかしな結果になりかねません。

裁判官の補足意見でも、「重大な加害者が不当に責任を免れる結果となる」と指摘されており、裁判所はこうした不公平を防ぐためにも、被害者の意思表示は不要であると結論づけました。

弁護士の視点

この判例は、現在の交通事故や相続の実務において「当たり前」とされているルールの基礎となった重要なものです。
この判例から学べる「将来のトラブルを防ぐための対策」を解説します。

「見えない遺産」を見落とさない

相続財産というと、不動産や預貯金ばかりに目が行きがちです。しかし、被相続人が亡くなる原因となった事故や事件がある場合、加害者に対する「損害賠償請求権」も重要な遺産に含まれます。

もし親族が不慮の事故などで亡くなった場合は、加害者に対してどのような請求ができるかを整理し、財産目録に「損害賠償請求権」という項目を設ける意識を持つことが大切です。

証拠の保全を意識する

本判決により、被害者本人の「意思表示」は不要になりましたが、請求するためには「事故の事実」や「過失」を証明しなければなりません。

警察の事故証明書、実況見分調書、医師の診断書やカルテなどは、時間が経つと入手が難しくなることがあります。万が一の際は、これらの客観的な証拠を早めに収集・保管しておくことが、正当な権利を守るための具体的なアクションとなります。

「誰が相続するか」を確認する

慰謝料請求権も「金銭債権」として遺産分割の対象になります。遺言書がない場合、法定相続人全員で遺産分割協議を行う必要がありますが、このとき「誰がこの請求権(および裁判をする手間)」を引き継ぐのかを明確にしておかないと、後々のトラブルの元になります。

よくある質問(FAQ)

被害者が事故で即死した場合でも、慰謝料は相続されますか?

はい、相続されます。

本判決の理屈によれば、事故による損害発生と同時に慰謝料請求権が発生し、死亡と同時にそれが相続されると考えます。被害者が痛みを感じる時間もなく亡くなったとしても、権利は法的に発生し、相続人に引き継がれます。

遺族がもらえる慰謝料には、「相続したもの」以外に種類がありますか?

はい、あります。

今回解説した「被害者本人の慰謝料(を相続したもの)」とは別に、遺族(父母、配偶者、子)自身が大切な家族を失ったことによる精神的苦痛に対する「遺族固有の慰謝料」(民法711条)という権利も認められています。これらは別々の権利として併存するため、両方を合わせて請求することが可能です。

相続放棄をした場合、慰謝料は一切受け取れませんか?

「被害者本人の慰謝料」は受け取れませんが、「遺族固有の慰謝料」は受け取れる可能性があります。

被害者本人の慰謝料請求権は「遺産」の一部なので、相続放棄をするとこれも放棄したことになり、受け取れません。しかし、前述した「遺族固有の慰謝料」は、遺族自身がもともと持っている権利であり、遺産ではないため、相続放棄をしていても受け取ることができます。

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