一部の相続人だけが受けた多額の生前贈与は、特別受益として遺産分割の計算に反映できます(民法903条の持戻し)。贈与の時期そのものに制限はありませんが、証明する責任は主張する側にあり、親の預金取引履歴や不動産登記など、記録の確保が先になります。相手からは「借りただけ」「持戻しの免除があった」という反論が定番で、相続開始から10年という期限(民法904条の3)にも注意が要ります。動く順番を押さえることが、特別受益の主張の成否を分けます。
相談に来られたのは、二人兄弟の弟にあたる方でした。兄は15年前、自宅を建てるときに父から頭金2000万円を出してもらっている。ところが遺産分けの話になると、兄は「今ある預金を半分ずつにするのがルールだ。昔の話を持ち出すな」と譲らないといいます。兄の言い分を覆す手立てはあるのでしょうか。
「今ある預金を半分ずつ」で、本当にいいのか
法定相続分どおりに分けること自体は間違いではありません。ただ、民法には、一部の相続人だけが生前に受けた多額の援助(特別受益)を「遺産の前渡し」として計算に足し戻す仕組みがあります(民法903条)。冒頭のケースなら、遺産1億円に贈与2000万円を足した1億2000万円を基準に取り分を出し、兄は前渡し分を差し引く。兄4000万円・弟6000万円となり、均等割との差は1000万円です。
問題は、その手前です。実務で争いになるのは計算そのものではなく、①贈与があった事実と金額を証明できるか、②その援助が特別受益にあたるか、③持戻し免除の意思表示がなかったか、この三つのほうです。これに加えて、2021年の民法改正で、④その主張ができる期限も加わりました。
証拠を先に押さえる――記憶ではなく証拠で示す
証明責任は、特別受益を主張する側にあります。「兄がもらっていたはずだ」という記憶だけでは、調停でも審判でも前に進みません。裏を返せば、証拠さえ確保できれば、相手が認めなくても主張は成り立ちます。まず確認するのは、次の4つです。
- 被相続人名義の預金取引履歴
相続人の一人であれば、他の相続人の同意なしに、単独で金融機関へ取引経過の開示を請求できます。保存期間はおおむね10年とされるため、古い贈与ほど早く動く必要があります。 - 不動産の登記記録
兄名義の自宅があるなら、全部事項証明書は法務局で誰でも取得できます。取得時期や抵当権の設定額から、資金の出どころを推測する足がかりになります。 - 贈与税の申告内容
相続税の申告に必要な範囲で、他の相続人が受けた一定の贈与について税務署に開示を請求できる制度があります(相続税法49条)。 - 手紙・メール・家計のメモ
「頭金を出してやった」という親の手紙一通が、決め手になることもあります。
取引履歴に大きな出金が見つかっても、それで終わりではありません。その出金が「兄への贈与」なのか「親自身の支出」なのかで、次の争いが始まります。贈与と立証しきれない出金は、特別受益ではなく使途不明金の問題として、別のかたちで追及することになります。この二本立てで組み立てるのが実務の定石です。
相手からの反論は、だいたい三つに絞られる
反論1:「贈与ではない、貸しただけだ」
貸付なら特別受益にはあたりません。ただ、借用書がなく、返済の形跡が一度もなければ、贈与と評価される方向に傾きます。取引履歴で返済の入金があるかどうかを先に確認しておけば、この反論は怖くありません。
反論2:「親は『これは別にやる』と言っていた」(持戻し免除)
被相続人が持戻しを免除する意思表示をしていた場合、持戻しはできません(民法903条3項)。遺言などの書面に書かれていれば明確ですが、書面がなくても、贈与の経緯から「黙示の免除」が認定されることがあります。
他の兄弟にも同程度の援助があったか、贈与が介護の労に報いる趣旨だったか。そうした事情をどう評価するかで結論が変わるため、免除をうかがわせる事情がないかは、主張する前に調べておくべきです。なお、婚姻期間20年以上の配偶者への居住用不動産の贈与には、免除を推定する規定があります(民法903条4項)。
反論3:「何十年も前の話だ、時効だ」
民法上の持戻しに、贈与の時期の制限はありません。20年前の頭金でも対象です。相続税の生前贈与加算(死亡前3年以内、改正により段階的に7年以内へ延長)と混同した反論をよく見かけますが、あれは税金の計算ルールであり、遺産分割とは別物です。
ただし、本当の期限は別にあります。「相続開始から」10年を過ぎると、原則として特別受益の主張ができなくなりました(民法904条の3)。10年経過前に家庭裁判所へ遺産分割調停・審判を申し立てておけば主張は維持できるため、期限が迫っている案件では、協議を打ち切って申立てを先行させる判断もありえます。
特別受益の主張方法と進め方
ステップ1:協議の前に証拠を固める
取引履歴・登記・申告内容の確保が先です。「特別受益を主張する」と相手に告げるのは、資料が揃ってからで遅くありません。先に手の内を明かすと、資料の任意開示に応じてもらえなくなることがあります。
ステップ2:計算の根拠を示す
「不公平だ」という感情論ではなく、持戻し後の相続分を数字で示します。持戻し計算の結果が明確なら、相手も専門家に確認したうえで、応じる方向に傾くことが少なくありません。
ステップ3:協議でまとまらなければ、調停を申し立てる
調停では、主張と裏づけ資料を書面で整理して出します。裁判所は「いつ・いくら・何のための贈与か」を個別に特定するよう求めてきます。漠然と「援助を受けていたはずだ」では取り上げてもらえません。
ステップ4:審判では、証明できたものだけが残る
認められる見込みの薄い主張に固執すると、審理が長引くうえ、確実な主張の説得力まで下げてしまいます。そのため、確度の高い贈与に絞って組み立てたほうが、トータルとしての結果はよくなる場合もあります。

