「父は『持ち戻さなくていい』と言っていた」――その持戻し免除の主張、通るとは限りません

この記事のポイント
  • 持戻しの免除を主張されても、簡単に認められるわけではありません。持戻し免除の意思表示があったことを証明する必要があり、それを証明するのは贈与を受けた相続人の側です。
  • まず確認するのは3点です。遺言書などの書面に持戻し免除の記載があるか。婚姻20年以上の配偶者への自宅の贈与か。そのどちらでもなければ、その贈与に、持戻しを免除するだけの理由が実際にあったのかどうかで決まります。
  • 持戻しを免除するだけの理由としては、家業の承継、生活保障、見返りがあります。ただし、それを裏付ける資料を出せないのであれば、持戻しの免除が認められる可能性は低いです。

二人きょうだいの妹からのご相談でした。父の遺産分割の話し合いで、兄が生前に住宅購入資金の援助を受けていたことを持ち出したところ、兄からこう返ってきたそうです。「父は『これはお前にやったものだ、相続のときに差し引く必要はない』と言っていた」。書面は何も残っていません。妹は、こう言われた以上は引き下がるしかないのだろうか、と考えていました。

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「父が免除すると言っていた」と言われても、それで決まりではない

生計の資本などにあたる生前贈与を受けた相続人がいる場合、その贈与を計算上いったん遺産に戻し、その相続人の具体的相続分を減らして計算し直します(特別受益の持戻し。民法903条1項)。しかし、亡くなった方が「この贈与の分で相続分を減らすつもりはない」という意思を示していたのであれば、その意思が優先され、持戻しはされません。持戻し免除の意思表示です(同条3項)。

重要なのは、持戻し免除の意思表示があったことを証明するのは、それを主張する側、つまり贈与を受けた相続人だという点です。持戻し免除を持ち出されたからといって、こちらが「免除の意思はなかった」と証明する必要が生じるわけではありません。相手が「父はそう言っていた」と述べただけでは、こちらの主張が退けられたことにはなりません。

もう一つ、この場面には、こちらにとって悪くない事情があります。相手が持戻し免除を主張しているということは、贈与を受けた事実そのものは認めているということです。「そんな援助は受けていない」と否定されるところから始まる事案に比べれば、一歩進んでいます。

相手が主張する持戻し免除は、3つのどれか

相手が持ち出してくる免除の主張は、次の3つのどれかです。どれにあたるかで、こちらのすべきことが変わります。

相手の主張根拠証明の負担こちらの動き方
遺言書などに持戻し免除の記載がある明示の意思表示相手はほぼ証明できている免除そのものは争わず、贈与の範囲と評価額に争点を移す
婚姻20年以上の配偶者への居住用不動産の贈与・遺贈民法903条4項の推定こちらが「免除の意思はなかった」と証明する側になる贈与の時期・婚姻期間・対象を確認し、深追いするかを早めに判断する
それ以外の生前贈与・遺贈黙示の意思表示相手が周辺の事情から証明する贈与の理由を具体的に説明できるかを確かめる

贈与や遺贈をした時点で婚姻期間が20年以上の夫婦の一方が、配偶者に居住用の建物やその敷地を贈与・遺贈していた場合、持戻し免除の意思表示があったものと推定されます(民法903条4項)。推定が働くと、「免除の意思はなかった」とこちらが証明しない限り、持戻しはされません。相手が配偶者で、対象が自宅で、婚姻期間が20年以上。この3つがそろっているなら、そこを正面から争っても通る見込みは高くありません。

ただし、贈与の時期は確かめてください。この推定規定は2019年(令和元年)7月1日に施行されたもので、それより前にされた贈与には適用されません(改正法附則4条)。自宅の名義が古い時期に移っているなら、推定は働かず、持戻し免除の意思表示を証明するのはやはり相手方です。

実務上争いになるのは、ほとんどが3つ目の黙示の意思表示です。

黙示の持戻し免除が認められやすい贈与、認められにくい贈与

黙示の意思表示で問われるのは、「亡くなった方が、この相続人に法定相続分とは別に財産を与えるつもりだったと読み取れる事情があるか」です。考慮されるのは、贈与の内容と金額、その趣旨、亡くなった方との生活関係(同居や家業への従事)、双方の資力や健康状態、ほかの相続人が受けた贈与とのつり合いです。

免除の意思が認められやすいのは、次のような場合です。

  1. 家業を継がせるために、事業用の財産や自社株を渡していた場合
  2. 病気や障害があり、その相続人に特別な生活保障が必要だった場合
  3. 相続人の全員に、それぞれ相応の贈与や遺贈をしていた場合
  4. 介護や同居による世話など、亡くなった方が贈与の見返りとなる利益を受けていた場合

逆に、住宅資金・学費・生活費の援助で、ほかのきょうだいには同程度の援助がない、という場合は、持戻し免除が認められにくくなります。

実務で見かけるのは、「かわいがられていた」「援助を受けるのが自然な関係だった」という抽象的な説明で止まってしまう主張です。愛情があったという一般的な事情だけでは、法定相続分とは別に財産を与えるつもりだったという意思までは読み取れない。そう判断されることが少なくありません。相手の言い分がその程度で止まっているなら、争う余地は十分にあります。

事業用の財産や自社株が渡されていた場合は、免除が認められやすい反面、金額そのものが大きくなります。持戻しの可否と並行して、株式をいくらと評価するかも争点になります。

持戻し免除を争うために集める資料

黙示の持戻し免除を証明するのは、贈与を受けた相続人側です。とはいえ、こちらが何も出さずに待っていると、相手の説明がそのまま通ってしまうことがありますので、準備はしておく必要があります。

ステップ1:贈与の全体像を先に確定させる

いつ、いくらが、誰に渡ったのか。金融機関への取引履歴の照会、不動産の登記事項証明書、贈与税の申告書の控えなどで、事実関係を固めます。相手が持戻し免除を主張しているのですから、贈与の存在そのものは通常、争点になりません。ここで確定させた金額が、あとの評価の争点でもそのまま土台になります。

ステップ2:贈与の「理由」を相手に説明させる

争うべきなのは、持戻し免除の意思そのものではなく、その前提となる贈与の理由です。家業を継がせるためだったのか、生活保障だったのか、見返りがあったのか。相手がここを具体的に説明できず、資料も出せないのであれば、黙示の持戻し免除の主張は、そのままでは認められにくくなります。協議の段階で理由を書面で尋ねておけば、相手の回答がそのまま残り、調停でも使えます。

このとき相手が出してくるのは、遺言の付言事項、手紙やエンディングノート、家業の決算書、同居の記録といった資料です。何十年も前の贈与であれば、こうした資料は残っていないことが多いです。

ステップ3:ほかの相続人との差を示す

相続人の全員に相応の贈与がされていた、という場合に当たらないことは、こちらから積極的に示せる事実です。自分は同程度の援助を受けていないこと、援助の時期や金額に大きな開きがあることを、通帳や当時の生活状況から裏づけます。なお、相続人ではない孫や配偶者への贈与が絡む場合は、扱いが変わるので別に検討が必要です。

ステップ4:遺贈なら、遺言の文言と作成の経緯を確認する

遺言による取得(遺贈)について持戻し免除を主張された場合は、こちらに有利な事情があります。遺贈は、遺言という方式を踏んで行われたものです。そのため、遺贈について黙示の持戻し免除を認めるには、生前贈与の場合より明確な意思表示が必要だと判断した裁判例があります(大阪高決平成25年7月26日)。遺言に免除の記載がなく、付言事項にも贈与の趣旨が書かれていないのであれば、その点をそのまま指摘できます。

よくある質問

持ち戻し免除の意思表示は、口頭で言われただけでも認められますか?

意思表示としては有効ですが、証明できるかどうかは別問題です。裏づけとなる客観的な資料(手紙・メール・贈与の経緯を示す資料など)がなければ、協議でも調停でも通りにくいのが実情です。口頭のみの場合は、そもそも特別受益に当たらないという反論や金額の評価の争点と組み合わせて検討します。

遺言書に免除の記載がない遺贈でも、持ち戻し免除を主張できますか?

主張はできます。ただし遺贈の場合、生前贈与よりも明確な意思表示の証明が求められるとした裁判例があります(大阪高決平成25年7月26日)。遺言の付言事項や作成の経緯など、遺言の内外から免除の意思を裏づける事情を示せるかがポイントになります。

相手が母で、自宅の贈与を受けています。持戻しは主張できませんか

贈与の時点で婚姻期間が20年以上あり、対象が居住用の建物や敷地であれば、持戻し免除の意思表示が推定されます(民法903条4項)。ただし、この推定は2019年7月1日以後にされた贈与・遺贈にしか働きません。贈与の時期がそれより前なら、免除の意思表示を証明するのは相手方です。

相続開始から何年も経っています。今から特別受益を主張できますか

相続開始の時から10年を経過した後の遺産分割では、原則として具体的相続分の主張ができません(民法904条の3)。10年を経過する前に家庭裁判所へ遺産分割の請求をしていれば制限を受けず、2023年4月1日より前に開始した相続については、10年の経過時か2028年3月末か、いずれか遅い時までに請求すれば足ります。相続開始日を確認し、残っている期間を把握するのが先です。

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