遺産はいらない場合、相続分を譲渡・放棄することはできますか?
遺産を取得したくない場合、相続分の譲渡または相続分の放棄という方法があります。相続分の譲渡は、自己の相続分(遺産全体に対する割合的な持分)を特定の相続人等に移転する方法です(民法905条参照)。相続分の放棄は、遺産を取得しない旨の意思表示です。いずれの手続がとられた場合にも、家庭裁判所の職権により、当該相続人は遺産分割の手続から排除されます(家事事件手続法258条1項、43条1項)。
手続の概要
遺産分割の当事者のうち、遺産を取得する意思がない者がとりうる方法として、相続分の譲渡と相続分の放棄の2つがあります。
相続分の譲渡とは、被相続人の死亡によって相続人に承継された権利及び義務を、第三者または他の相続人に対し包括して譲渡(持分の移転)する契約のことです。積極財産と消極財産とを包含した遺産全体に対する割合的な持分(相続分)が移転します(最高裁平成13年7月10日判決、最高裁平成30年10月19日判決)。条文上の根拠は民法905条です。同条は、共同相続人の一人が遺産分割前にその相続分を第三者に譲渡したときは、他の共同相続人がその価額及び費用を償還して取り戻すことができると規定しており、このことから、遺産分割前の相続分の譲渡が可能であると解されています。
相続分の放棄とは、共同相続人がその相続分を放棄する旨の意思表示をすることです。相続放棄(民法938条)とは異なり、相続人としての地位自体を失うものではなく、相続債務の負担義務は免れません。また、期間制限はなく、当該事件限りの効力しかありません。
この2つの制度はいずれも、当事者が遺産を取得しないことを希望する場合に用いられますが、以下のとおり重要な違いがあります。
| 項目 | 相続分の譲渡 | 相続分の放棄 | 相続放棄(参考) |
|---|---|---|---|
| 根拠条文 | 民法905条 | 明文の規定なし | 民法938条 |
| 性質 | 当事者間の契約 | 一方的な意思表示 | 家裁への申述 |
| 譲渡先の指定 | 特定の相手に譲渡可能 | 指定不可(他の相続人に按分) | ― |
| 相続人の地位 | 失わない | 失わない | 初めから相続人でなかったとみなされる |
| 相続債務 | 債権者に対抗不可 | 債権者に対抗不可 | 債務を免れる |
| 期間制限 | なし | なし | 原則3か月(熟慮期間) |
手続の要件・準備
相続分の譲渡の要件
相続分の譲渡は当事者間の契約であるため、譲渡人と譲受人の合意が必要です。遺産分割の調停・審判が進行中の場合、家庭裁判所が書類一式を交付します。必要書類は次のとおりです。
- 相続分譲渡証書
- 相続分譲渡届出書
- 即時抗告権放棄書
- 印鑑登録証明書
海外居住者など印鑑登録ができない場合は、外国の公館における署名証明(サイン証明)で代替することができます。サイン証明の取得が困難な場合には、公証人による証明書など、同等に公的なものと認められる書面の提出でも足りると考えられています。
相続分の放棄の要件
相続分の放棄は一方的な意思表示であり、他の相続人の同意は不要です。必要書類は次のとおりです。
- 相続分放棄届出書
- 即時抗告権放棄書
- 印鑑登録証明書
相続分の放棄は、本人の意思であることを明確化するため、本人の署名と実印の押印、印鑑登録証明書の添付が求められます。
いずれの手続にも共通する注意点
相続分の譲渡も放棄も、相続人に承継された権利義務の移転という重大な効果を生じます。そのため、裁判所は、当該相続人本人の真意に基づくものであるかどうかを慎重に確認します。
なお、遺産分割調停の申立て前に相続分の譲渡がなされ、その旨の契約書(相続分譲渡証書)及び印鑑登録証明書が提出された場合には、相続分を譲り渡した相続人は当初から調停等の当事者とはなりません。
手続の流れ
STEP 1:意向の確認
当事者が遺産を取得する意思がないことを、答弁書の記載や書面の提出、電話での問い合わせ等により確認します。遺産分割調停の答弁書には、希望する分割方法の欄に「取得を希望しない」「相続分を相続人○○に譲り渡したい」「相続分を他の相続人で分けてよい」等の選択肢が設けられていることがあります。
特定の相続人に取得させたいという意向であれば相続分の譲渡、端的に遺産を取得しないという意向であれば相続分の放棄が適した方法です。
STEP 2:書類の交付・提出
譲渡の意向が示された場合、調停委員会から、譲り渡したいとされた当事者にその意向を伝え、家庭裁判所が書類一式を交付します。放棄の意向が示された場合は、裁判所の書記官室から、相続分の放棄の書式を送付し、提出してもらいます。
調停期日に譲渡人と譲受人の双方が出席している場合には、直接、真意を確認することができますので、調書に記載することで相続分を譲渡することができます。もっとも、相続分の譲渡は当事者間で行うものであり、裁判所がそのやり取りに関与することも仲介することもありません。
STEP 3:手続からの排除
前記書類が印鑑登録証明書とともに提出されると、家庭裁判所は、当該相続人を遺産分割の手続から排除する旨の裁判(決定)を職権で行います(家事事件手続法258条1項、43条1項)。排除の裁判は、調停委員会の権限事項です(家事事件手続法260条1項6号)。
即時抗告権放棄書が提出されている場合には、調停委員会で評議をして、裁判官の押印のみの決定で処理し、相当な方法で告知する運用です。即時抗告権放棄書が提出されていない場合には、調停委員会全員(裁判官及び調停委員)の記名押印による決定書の作成が必要となり、決定書を送達する運用です。
排除の裁判(決定)に対しては、即時抗告をすることができます(家事事件手続法258条1項、43条2項)。
STEP 4:排除後の手続
排除により当事者の地位を喪失した者は、以後、記録の閲覧等を行うことができなくなります。排除後は、残りの当事者間で遺産分割の手続が進行します。
なお、相続分の譲渡または放棄の意向が明確になった場合でも、手続から排除せずに、調停に代わる審判で、当該当事者については「遺産を取得しない」との主文にして遺産を分割することもできます。譲渡の場合、譲受人と明示された当事者の具体的取得分を増やすことになります。
【設例】
被相続人Aの相続人は、妻Wと子B・C・D・Eの5名。
法定相続分は、Wが2分の1、B~Eが各8分の1。
子4名がWに対し相続分を譲渡した場合:
→ Wの相続分 = 2分の1 + 8分の1×4 = 1(全部)
→ Wが遺産を単独取得する。

