弁護士2名立会いの下で締結された認知症高齢者の相続分譲渡契約を意思能力の欠如により無効とした事例|仙台高判令和3年1月27日

判例のポイント

97歳でアルツハイマー型認知症(中期・重度に近い中等度)に罹患していた高齢者が、長女に自己の相続分全部を無償譲渡した契約について、仙台高等裁判所は、意思能力の欠如を理由に無効と判断しました。長女の代理人弁護士2名が立ち会って締結された契約であっても、長期間にわたる医療記録や精神鑑定から認知機能障害が一貫して認められれば意思能力なしと判断されること、契約内容の単純性と結果の意味の理解の容易性は同一視できないことを明確に示した、相続実務上重要な裁判例です。

目次

判例情報

  • 裁判所:仙台高等裁判所第3民事部
  • 判決日:令和3年1月27日
  • 事件番号:令和2年(ネ)第17号
  • 関連条文:民法3条の2

事案の概要

本件は、97歳のアルツハイマー型認知症の女性が長女との間で締結した相続分譲渡契約の効力が、女性の死亡後に他の相続人から争われた事案です。

登場人物

  • A:本件契約の譲渡人(平成23年2月28日当時97歳)。アルツハイマー型認知症に罹患。
  • B:Aの夫(平成22年9月4日死亡)。本件相続の被相続人。
  • Y1:A・Bの長女。本件契約の譲受人。平成11年からA・Bと同居して介護。
  • X1:A・Bの長男(控訴人)
  • X2:A・Bの二女(控訴人)
  • Y2:A・Bの三女。統合失調症のため長年入院中。
  • Y3・Y4:A・Bの五女C(平成21年2月12日死亡)の子(代襲相続人)

時系列

  • 平成11年7月:Y1がBの所有地上に建物を新築し、A・Bと同居を開始
  • 平成17年頃:Aがアルツハイマー型認知症と診断され、治療薬アリセプトを処方
  • 平成20年12月:AがQ1病院に入院、回診でほとんど発語できず、アルツハイマー型認知症と診断
  • 平成21年2月:AがQ2病院に入院、中等度のアルツハイマー型認知症と認定
  • 平成21年2月12日:C(五女)死亡
  • 平成22年9月4日:B(夫)死亡
  • 平成22年10月17日:Bの四十九日法要(Aは用意されたメモを無表情で読み上げるのみ)
  • 平成23年2月8日:Y1がBの遺産分割調停を申立て
  • 平成23年2月28日:本件契約締結。Y1の代理人弁護士2名が同席し、Y1がAの署名を代筆
  • 平成23年3月10日:Y1が本件契約に基づく脱退届を遺産分割調停期日に提出
  • 平成27年7月19日:A死亡(本件契約後、Xらは一度もAと面会できず)
  • 平成28年:Xらが本件契約の無効確認訴訟を提起
  • 令和元年12月13日:原審(福島地裁)が請求を棄却
  • 令和2年:控訴審でXらが訴えを遺産確認請求に交換的に変更
  • 令和3年1月27日:本判決(控訴認容)

経緯

Aは平成17年頃からアルツハイマー型認知症と診断され、その後継続的に医療機関で診療を受けていました。平成22年9月にBが死亡した際には、何度Bの死を教えられても「分かってるわい」と言いながらすぐに忘れ、12月時点でもBがまだ存命と思っているような言動が記録されています。

Y1は平成23年2月8日にBの遺産分割調停を申立て、その20日後の同月28日、自身の代理人弁護士2名と当時97歳であったAの自宅を訪問しました。弁護士があらかじめ用意し、Y1が空欄を補充した相続分譲渡証書をAに示して署名を求めましたが、Aは自ら署名できなかったため、弁護士の指示によりY1がAの名前を代筆して書面が完成しました。譲渡対象財産の経済的価値は、不動産を固定資産税評価額で概算しても総額8000万円程度に上るものでした。

本件契約後、Y1は、XらをAに会わせず、平成27年7月にAが死亡するまで、Xらは一度もAと面会できませんでした。Xらは、Aの死後、本件契約の無効確認を求めて提訴しましたが、原審はAに本件契約締結時の意思能力がなかったとまでは認められないとして請求を棄却。Xらは控訴審で訴えを遺産確認請求に交換的変更し、控訴審は本件契約を無効と判断して請求を認容しました。

争点

Aは本件契約締結時に意思能力を有していたか

争点の本質的な問いは、長期間にわたるアルツハイマー型認知症の進行により認知機能障害が認められる97歳の高齢者が、自己の相続分(約8000万円相当)を一方的・無償で譲渡する契約を締結した場合に、当該契約締結時に意思能力(自己の行為の結果を弁識し判断する能力)を有していたといえるかです。

Xら(控訴人)は、Aは平成17年頃から重度の認知症であり、Bの死を何度教えられても忘れる状態であったこと、本件契約は約8000万円相当の財産を一方的に無償譲渡する重大な処分行為であり、その結果が他の相続人に及ぼす影響を理解する能力がなかったと主張しました。

これに対し、Y1(被控訴人)は、A本人がY1に対し相続分を譲渡したい旨を能動的に回答しており、Y1の長年の介護に対する感謝という動機も合理的であること、本件契約の内容自体は単純であり、弁護士2名が判断能力ありと判断していることから、意思能力に問題はなかったと反論しました。

裁判所の判断

判旨

本件契約締結時のAは、相続分譲渡に関連する状況と情報を理解すること自体ができず、意思能力を有していなかった。アルツハイマー型認知症の認知機能障害は不可逆的に進行する中核症状であり、医療記録や鑑定から本件契約締結時にも高度の認知機能障害が存在したことは動かし難い事実であって、利害関係者である代理人弁護士の印象は鑑定の信用性を覆すに足りない。

判決文の引用

意思能力の存否について、判決は次のように判示しました。

「本件契約締結当時の花子は、相続分譲渡が周囲に与える影響を理解した上で判断を下すことや、自分の判断の理由と経過を周囲に説明することができなかったことはもとより、相続分譲渡に関連する状況と情報を理解すること自体ができなかったと認めることが相当である」

意思表示の内容の単純性と結果の意味の理解の容易性については、次のように判示しています。

「意思表示の内容の単純性と意思表示の結果の意味(自己や周囲に及ぼす影響等)を理解することの容易性とを同一視することはできない。」

立会いの代理人弁護士の判断については、以下のように評価しました。

「両弁護士が、アルツハイマー型認知症患者の特徴である『対人接触のもっともらしさ』や『人格の形骸化』等に関する知識や理解がないにもかかわらず、そのことが花子の精神状態を誤って理解する原因となり得るとの自覚もないために、花子の意思能力について判断する適格性を欠いていることをうかがわせるものといわざるを得ない。」

判例の考え方

本判決は、意思能力の有無の判断において、契約時点の本人の表面的な言動だけでなく、長期間にわたる医療記録・看護記録から客観的に確認される認知機能障害の存在と進行、契約の経済的影響の重大性、契約締結の経緯や前後の事情を総合的に考慮する判断の枠組みを示しています。

特に重要なのは、アルツハイマー型認知症患者には「対人接触のもっともらしさ」「人格の形骸化」と呼ばれる症状があり、表面上は意思疎通ができているように見えても、状況や情報を実質的に理解していない場合があるという医学的知見を、法律判断の前提として正面から取り入れた点です。

また、意思表示の内容自体の単純性と、その結果が及ぼす影響を理解することの容易性は別であるとして、無償譲渡される財産の経済的価値の大きさが、求められる意思能力の程度に影響するという考え方を示しています。本件のように高額(8000万円相当)な財産を一方的・無償で譲渡する場合は、より高度の意思能力が必要であるという理解です。

結論に至る処理

裁判所は、以下の事情を総合してAに本件契約締結時の意思能力がなかったと結論付けました。

第一に、長期間にわたる医療記録・看護記録から、Aが平成17年頃から継続的にアルツハイマー型認知症と診断され、本件契約前後を通じて高度の記憶障害・理解力低下・判断力低下・意思伝達能力の著明な低下が一貫して認められること。第二に、Bの通夜・葬儀という強い精神的衝撃を受けるはずの場面ですら、Aが夫の死を自然に理解する能力を失っていたと専門医から指摘される態度を示していたこと。第三に、本件契約は、Y1が遺産分割調停を申立てた直後に、Y1の自宅で、Y1とその代理人弁護士のみが同席する場で、Y1がAの署名を代筆して締結されたものであり、反対当事者や第三者の立会い、録画録音といった客観的証拠の保全がなされていないこと。第四に、本件契約後、Y1がXらをAに一切会わせなかったという事実は、Aが本件契約を真に理解した上で締結したのであれば不自然な行動であること。

これらに加え、Y1の代理人弁護士2名がAに判断能力ありと判断したという供述・陳述についても、利害関係者としての立場と、アルツハイマー型認知症の特徴に対する専門的知識の欠如から、医療記録や鑑定の信用性を覆すものではないと判断されました。

判例の射程

本判例の射程について、判決文の表現に即して整理します。

本判決は、アルツハイマー型認知症の中期(重度に近い中等度)に罹患した97歳の高齢者が、約8000万円相当の高額な相続分を一方的・無償で譲受人に譲渡する契約を、譲受人と譲受人の代理人弁護士のみが立ち会う場で、本人の自筆によらず代筆で締結した事案について、意思能力を欠いていたと判断したものです。

判決は、認知症の存在・程度を、長期間にわたる医療記録と中立的立場からの精神鑑定によって認定したうえで、意思能力の判断について、契約内容の単純性と結果の意味の理解の容易性は同一視できないこと、無償譲渡の対象財産が高額であるほどより高度の意思能力が必要であること、契約締結に立ち会った法律家の印象は、その者が利害関係者である場合や認知症の専門的特徴への理解を欠く場合には医療記録・鑑定の信用性を覆さないこと、契約後の事情(譲受人が他の相続人と本人との面会を拒んだ等)も意思能力欠如を裏付ける間接事実となりうることを示しています。

判決の射程としては、表面的なやり取りが成立しているように見えても、医学的知見から認知症患者特有の症状(対人接触のもっともらしさ・人格の形骸化)で説明できる場合には、意思能力の存在を肯定する根拠にならないという判断枠組みが、同種の事案に妥当すると考えられます。他方、認知症の程度や契約の経済的影響の規模、契約締結の状況(立会人の構成・客観的証拠の有無等)が異なる事案については、本判決の事案に応じた個別判断との関係で別途検討が必要となります。

実務での使い方

使える場面

本判決は、争族の場面で、認知症の高齢者が締結した相続関連の契約(相続分譲渡契約・遺産分割協議・贈与契約等)の効力を意思能力の欠如を理由に争う際の判断枠組みと立証手法を示すものです。とくに、契約締結時に法律家(弁護士・司法書士・公証人等)が関与していた事案であっても、当該法律家の判断が無条件に意思能力の存在を裏付けるわけではないことを明確にした点で、実務上の参照価値が高いといえます。

無効を主張する側(譲渡人側の他の相続人等)

意思能力の欠如を立証するためには、契約時点だけでなく、契約前後の長期間にわたる認知機能の状態を客観的資料で示すことが不可欠です。具体的には、医療機関の診療録・看護記録、ケアマネージャーの居宅サービス計画書、ショートステイ施設等の記録、家族からの聞き取りに基づく陳述書、専門医による鑑定意見書等を体系的に収集します。アルツハイマー型認知症は不可逆的に進行する疾患であるという医学的知見を前提に、契約時点でも当該認知機能障害が存在したことを論証することがポイントです。

そのうえで、契約の経済的影響の重大性(対象財産の価額、無償か有償か、一方的な利得か)を強調し、内容が形式的に単純であることが意思能力存在の根拠にならないことを主張します。さらに、契約締結時の立会人の構成(利害関係者のみか、中立的第三者がいたか)、本人の署名の有無(自筆か代筆か)、客観的証拠(録画・録音等)の有無、契約後の譲受人の行動(本人と他の親族の面会を拒んだ等)も、意思能力の存否を判断するうえで重要な間接事実となります。

有効を主張する側(譲受人側)の対応

契約の有効性を主張する側は、認知症の程度を医学的に争うとともに、契約締結時の本人の具体的言動(理解力・判断力を示すやり取り)を裏付ける証拠を提出することが基本となります。ただし、本判決が示したように、利害関係者である代理人弁護士の印象や陳述書だけでは、医療記録や鑑定の信用性を覆すには不十分とされる可能性が高い点に注意が必要です。可能な限り、契約締結時に中立的な第三者の立会いを求める、録画・録音等の客観的証拠を残す、医師の診断書や事理弁識能力に関する意見書を取得する等、事前の証拠保全に努めることが望まれます。

また、「対人接触のもっともらしさ」「人格の形骸化」というアルツハイマー型認知症の特徴が、表面上の意思疎通の成立をもって意思能力ありと判断する根拠を弱めることに留意し、この症状で説明できない積極的な意思能力の徴表(状況・情報の理解、結果の影響の認識、判断理由の説明能力)があることを具体的に立証する必要があります。

立証上のポイント

意思能力の有無を争う訴訟では、契約時点の本人の言動に関する直接証拠が、利益を受ける一方当事者の供述しか存在しない場合が少なくありません。本判決は、このような事案において、医療記録等から動かし難く認められる本人の精神症状と専門医の鑑定意見を踏まえて、当該供述の信用性を否定するという事実認定の手法を採用しています。

実務では、以下の証拠の収集と整理が重要です。第一に、契約前後の長期間にわたる医療記録・看護記録・介護記録の体系的収集。第二に、家庭裁判所の選任する鑑定人による精神鑑定の活用。第三に、契約締結時の客観的状況に関する証拠(立会人の供述、書面の作成過程に関する物証、当時の写真・録音等)。第四に、契約後の譲受人の行動に関する証拠(本人と他の親族との面会拒絶、財産処分の状況等)。

なお、契約締結を主導する側に立つ法律家としても、後日の紛争に備え、本人の事理弁識能力の確認過程を客観的記録として残すことが重要です。本判決でも、契約当時に既にアルツハイマー型認知症との診断が繰り返されていた本人について、適切な証拠保全をしないまま契約を締結させた点が問題視されています。

併せて検討すべき周辺論点

遺言能力との関係

本判決は、譲受人側が引用した医師意見書が、本件契約締結能力を遺言能力と同視ないし混同していると批判し、遺言行為(歴史的に身分行為と解され、本人保護の必要性が低く、最終意思の尊重が重視されてきた)と相続分の無償譲渡(高額な財産行為)を区別すべきとしました。実務上、遺言能力に関する判例の判断枠組みを、認知症高齢者による財産処分行為の意思能力判断にそのまま転用することはできない点に留意が必要です。

訴訟物の選択

原審(福島地裁)では、契約無効確認請求の形で訴訟が提起されましたが、控訴審で遺産確認請求に交換的に変更されました。本判決は、譲渡人が既に死亡している場合、譲渡人の他の相続人は、譲渡人の相続人としての立場では本件契約自体について無効確認請求をする訴えの利益を有しない旨を指摘しています。被相続人の相続人による相続分譲渡契約の効力を争う場合の訴訟物の選択は、原告適格・訴えの利益の観点から事前に慎重に検討する必要があります。

改正民法3条の2との関係

本件契約は平成23年2月28日締結であり、令和2年4月1日施行の改正民法3条の2(意思無能力者の法律行為の無効を明文化)の適用対象ではありません。もっとも、改正前の判例・通説で確立していた意思能力の欠如による無効の解釈は、現行民法3条の2の解釈にも引き継がれており、本判決の判断枠組みは改正後の事案にもそのまま参照できると考えられます。

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